生まれたばかりの赤ん坊 6/6話(出典:碧巌録第八十則「趙州孩子六識」)

今回のエピソードの冒頭で、僧は投子和尚に「「激流にボールを打ち込むようなもの」と言われたのですが、いったいどういう意味なのでしょうか?」と尋ねて、「生きている限り、意識の流れは止まらないのだよ。」という回答を得ています。

おわかりでしょうか?
昔の人たちの修行は、実にこのようなものなのです。

質問者は、問いの立て方について事前に綿密な検討を重ねた上で、相手を選んで、狙いすましたタイミングで発言しますし、回答者も、質問者の真意や修行レベルを見極めた上で、その人が少しでも早く悟りに近づけるように慎重に言葉や言い方を工夫して発言します。

一見するとまるで噛み合っていない会話のように見えますが、決してお互いに脊髄反射的に思ったこと、感じたことを口から出まかせにしゃべっているのではないのです。

さて、「生まれたばかりの赤ん坊に六識はあるか?」という質問に戻りましょう。

「赤ん坊のごとく無心」とか「役立たずとも思える」などといったところで、「絶え間なく流れている」状態であることに変わりはありません。

それを踏まえれば、投子和尚がいかに相手の出方をよく見て回答をしたのかがご理解いただけるのではないでしょうか。

雪竇和尚はこのエピソードに対して以下のようなポエムを詠みました。

達人たちの「無用の用」談義。
激流に叩き込まれたボールはいったいどこへゆくのやら。

雪竇和尚は、「生ききったなら死と同じ。わざわざ試すまでもない。」とも仰っています。

さて、ここで読者の皆さんに質問です。

雪竇和尚が叩き込んだボールは、いったいどこへゆくのでしょうか?
・・・わからないというのなら、せめて浅瀬で受け止めたいものですね。(笑)

<生まれたばかりの赤ん坊 完>

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