ちがう、そうじゃない。 3/4話(出典:碧巌録第九十八則「天平和尚両錯」)

若いころの天平和尚は全くもって軽薄極まりない人物でした。

あちこちのお寺で師匠たちの話をつまみ食いした挙句、師匠たちが彼を追い払うための方便として褒めたのを真に受けてしまい、「オレは禅の全てを理解した! 仏の道も理解した! むしろ悟りを得たと言ってもいいだろう!!」などと言いふらすという鼻持ちならなさだったのです。

思えば、ブッダが生まれる前には仏教は存在しませんし、達磨大師が中国に来るまでは禅もなかったわけです。

当然、禅問答もありませんし、公案も存在しません。
それらは全て、昔の師匠たちが人々の悩みに個別に答えていく中で培われたものなのです。

かつてブッダが大勢の弟子たちの前で花をつまんで微笑んでみせた時、最長老のマハーカッサパ(大迦葉)だけがその意味(不立文字の法門=禅)を理解して微笑み返したという逸話がありますが、ブッダの死後、弟子のアーナンダが当のマハーカッサパに「ブッダは我々にいったい何を伝えてくれたのでしょうね?」と尋ねたところ、マハーカッサパは「アーナンダ、門前にかかっている「仏教道場」の看板をおろしてきなさい。」と言ったそうです。

ブッダが花をつまむ前、またアーナンダがマハーカッサパに質問する前に、公案などあり得ようハズもないではありませんか。

果たして天平和尚は、冒頭のエピソードにあったように西院和尚に2連続で「ちがう、そうじゃない!」とやられ、にっちもさっちもいかなくなったというわけです。

「西院和尚は、そもそも仏教の神髄を問答の対象にしようとする天平和尚の姿勢にダメを出したんじゃないかな。」などと言う人がいますが、全く的外れと言わざるを得ません。

天平和尚が呼びかけられて顔をあげた時、既に問答のレベルは2、3段下がってしまっているのです。

であるにも関わらず、天狗になっていたヤング天平和尚は、「禅はオレの側にある!」と思いあがって西院和尚に向かっていこうとしました。

そこでもう一度西院和尚に「ちがう、そうじゃない!」と言われてしまい、もう全くわけがわからなくなってしまったというわけです。

「ちがうのはワシかな?それともオマエの方かな?」と問われて「私の方が間違っているのではないか」などとしどろもどろに答えるに当たっては、もうレベルは7、8段も下がってしまっています。

それでもなんとか心折れずに西院和尚の引き留めを無視して立ち去ったのはいいですが、結局逃げ出したようにしか見えないのが残念なところです。

―――――つづく

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