病気と薬 1/2話(出典:碧巌録第八十七則「雲門薬病相治」)

この世の真実の姿をしっかりと理解した人は、型にハマった生き方はしないものです。

ある時は、誰にも到達できない高みに登ってたった一人で悠々自適。
またある時は、下町の繁華街で丸裸。

怒る時は三つの頭と六つの手を持つ魔神と化し、優しい時はお地蔵さんの如き慈愛のオーラをまとい、塵一粒で万物を表現し、相手が高潔なら高潔に、泥水に浸かっているなら自分も泥水に飛び込む。

そんな人の前にあっては、たとえ聖人君子たち千人が束になってかかっても敵わず、12万km以上遠くまで退避するハズです。

・・・私はいったい何の話をしているのでしょうか?

雲門和尚は弟子たちに向かってこう言いました。

雲:「病気には薬が必要だ。そしてこの世にあるもの全てが薬だ。さて、オマエはいったい何なのだ?」

さあ困った。全くわけがわからない。(苦笑)

徳山和尚の棒は雨あられと降り注ぎ、臨済和尚の喝は雷鳴のように轟きわたりますが、そんなものなどなくったって、お釈迦様はお釈迦様、文殊菩薩は文殊菩薩です。

この雲門和尚の問いかけを、ほとんどの人は「病気の人には薬を処方する」と勝手に言い換えてわかったようなつもりになってしまいます。

お釈迦様は悟りを開かれてから四十九年間で約三百回の説法を行ったと記録にありますが、これらは全て実際に困っている人に対する個別対応でした。
なるほど確かに、その状況や病状に応じて「薬を処方した」と言ってもよいかも知れません。

ただ、もしも貴方が「この世にあるもの全てが薬」であることについて何か鋭いコメントを付け加えることができるなら、貴方はもう天下無敵です。
雲門和尚も貴方の足元にひれ伏すことでしょう。

「病気には薬が必要」ということについて異論のある人はいないと思いますが、もしも貴方がこれを「あり」と受け止めるなら「なし」、「なし」と受け止めるなら「あり」、「ありでもなしでもない」と受け止めるなら道端に捨てられているゴミにお釈迦様と同じ働きをさせる。
それがその道の達人のやり方です。

「この世にあるもの全てが薬」だとしたならば、自分も世界の一部だから「薬」だということになってしまいます。

そうした場合、「貴方はいったい何なのか?」ということを雲門和尚は問うておられるわけです。

「いや、そういうことであれば私も薬なんじゃないですか?」などというレベルの理解では、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が出現するまで修行したところで、雲門和尚の真意はつかめないでしょう。

―――――つづく

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