雲門和尚の餅粥 1/3話(出典:碧巌録第七十七則「雲門答餬餅」)

上に向かえば世界中の人たちの鼻づらを引き回す。それはまるでハヤブサがハトを捕まえるようなもの。

下に向かえば自分の鼻づらを人手に渡す。それはまるでカメが甲羅に隠れるようなもの。

もしも貴方が「究極の真実には「上」も「下」もない。従って「向かう」とかもないのでは!?」とツッコんでくるならば、私はただ、「あらまぁ、お気の毒に・・・」と言うのみです。

さて、私はいったい何の話をしているのでしょうか?

「そのまま適用できる法律がなければ、過去事例にならって判断するしかない」ということですので、今回も昔の話をさせていただきます。

とある僧が雲門和尚に「仏とか歴代の高僧とかを超越した境地の問答をさせてください!」と吹っ掛けたところ、雲門和尚は「餅粥!」と答えたそうです。

さすがズバリと単語で回答するのがお得意の雲門和尚、そのゾッとするほどの切れ味に私はもう鳥肌が立ちっぱなしです・・・

この僧は恐らく、あちこちの有名な師匠のところを訪ねては、仏について問答し、歴代の高僧たちについて問答し、禅について問答し、道について問答し、上から下まで問答し倒した挙句に、もういよいよ質問することがなくなってしまって「超越した境地」などと言い出したのでしょう。

で、雲門和尚はその道のベテランですので、水かさが増せば船が高いところに浮かび、材料となる土をたくさん用意すれば大きな仏像が造れるように、「餅、粥」と答えた次第です。

雲門和尚は、また別の機会に弟子たちに向かってこう言いました。

「確かに禅問答は「祖師意=仏を含む歴代高僧たちが本当にやりたかったこと」を問うものが圧倒的に多く、ある意味ワンバターンに見える。だが、もしもオマエたちがそれに飽きて「仏とか歴代の高僧とかを超越した境地」とか言い出すのであれば、私は逆に聞こう。オマエらはいったい「仏」や「歴代高僧」をどのようなものとわきまえて「超越」しようとしておるのだ? この世を「超越」しようとでもいうのか? ならばまずその「この世」を切り取って目の前に置いてみせろ! わかるか? 目で見えるもの、耳で聞こえるもの、それら全てはオマエそのものだ。つまり「この世」とはオマエのことなのだよ。それを今さら言葉でアレコレしてなんになる? お前らはいったいこの道場で、各自持っている「お椀」を使って何を摂取してきたのだ? 究極の真実は今この瞬間もオマエの目の前にある。そしてそれは押しても引いてもビクともせず、一切の言語表現を受け付けない。・・・などと言うと、オマエらはまた生き埋めにされたみたいに身動きできなくなっちまうのだろうな。」

もし貴方がこの発言の真意を理解できるというのなら、「餅、粥」とはいったい何のことなのか、私からお話しすることはもう何もありません。

―――――つづく

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