全身が眼 1/5話(出典:碧巌録第八十九則「雲巌問道吾手眼」)

全身が眼だというのに見ていない。
全身が耳だというのに聞いていない。
全身が口だというのに話せない。
全身が心だというのに考えられない。

「全身」はともかく、眼がなければどうやって見るのか、耳がなければどうやって聞くのか、口がなければどうやって話すのか、心がなければどうやって考えるのか。

もしも貴方がこの問題にズバリと回答できるのであれば、貴方は「仏」そのものです。

もしもよくわからないというのであれば、すぐ誰かに答えを教えてもらいに行くのではなく、しばらく自分で考えてみることをオススメします。

以下、雲巌和尚と道吾和尚の会話です。

雲:「千手観音さまは千本の手のそれぞれに眼がついているとのことですが、それでいったい何をしようというのでしょうね?」
道:「真夜中に寝ながら手探りで枕の位置を直すことがあるだろう? ああいうことじゃない?」

雲:「あっ、なるほどわかりました!」
道:「何がわかったのかな?」

雲:「身体中が眼なのですね!」
道:「うん、なかなかいいところを突いていると思うけど、まぁ八十点ぐらいかな。」

雲:「・・・じゃあ先輩はどうなんです?」
道:「全身が眼なんだよ!」

雲巌和尚と道吾和尚は、どちらも薬山和尚の弟子です。
二人ともそれはそれは熱心に修行を重ね、四十年間横になって寝たことはなかったとのこと。

薬山和尚の弟子たちの中では特に雲巌和尚、道吾和尚、船子和尚の三人が飛びぬけて優秀で、後にそれぞれが一派を成しています。

千手観音には印を結んだ手が、千本どころか八万四千本もあるといいます。
そしてその全てに眼がついているのだと。

さて、貴方の手は何本ですかな?

百丈和尚は言いました。
「一切の言葉や文字は、全て回りまわって自分に帰ってくるのだ!」と。

―――――つづく

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