全身が眼 5/5話(出典:碧巌録第八十九則「雲巌問道吾手眼」)

かつて賢首国師は十枚の鏡を内側に向けてずらりと円形に設置して、その中心部分に火のついた蝋燭を立てました。

東側の鏡を見ると、そこには残りの九枚の鏡に映った蝋燭の灯りが映っています。
南側の鏡を見ても、また同じことです。

皆さま、おわかりでしょうか?

これこそが「事事無礙法界」であり、お釈迦様が究極の悟りをひらかれた時に菩提樹の下で座禅を組んだまま須弥山の頂上にある帝釈天の住居をはじめとした天上界の全てを訪問した時の模様をまとめたお経である「華厳経」のエッセンスなのです。

雪竇和尚は鏡の代わりに帝釈宝珠をもってこれを説明したわけなのですが、やはりここにも華厳経の基本理念である「六相」の原理がハッキリと表されています。

「六相」とは、あらゆる存在に備わっている「総」「別」「同」「異」「成」「壊」の各フェーズの総称です。

ちょっと細かくなりますが、以下に解説させていただきます。

  • 総:ある「存在」の全体像のこと。
  • 別:その「存在」の各構成要素のこと。
  • 同:その各構成要素のハタラキが、その「存在」をかたちづくるという点において同一であること。
  • 異:その「存在」をかたちづくる各構成要素のハタラキがそれぞれに異なっていること。
  • 成:それぞれにハタラキの異なる各構成要素が寄り集まってその「存在」をかたちづくっていること。
  • 壊:その「存在」をかたちづくっているそれぞれにハタラキの異なる各構成要素の中にもまた、寄り集まってその「各構成要素」をかたちづくっているそれぞれにハタラキの異なる各構成要素があること。

そしてこの六相は互いに妨げることなくまどやかに融通しあっており、それぞれの相の中にもまた六相があるのです。

なんだか凄く難しいことのように思われるかも知れませんが、貴方を含むほとんどの人は、それに気づいていないだけであって、誰もが皆、日々の生活の中でこの六相を自由に使いこなしています。

もしも貴方が無限の世界を映し出す帝釈宝珠の中に「杖」を見出すことができたなら、千手観音の持つ「眼のついた手」を会得したといえるでしょう。

今回、雪竇和尚は「杖の先にある眼のついた手が、いったいどこから来るのかわかるか?」という「杖」を貴方の頭上に振り下ろしました。

いきなり杖で殴る、といえば徳山和尚お得意の必殺技です。
さて、手眼はどこにあるのでしょうか?

いきなり大声で一喝する、といえば臨済和尚お得意の必殺技です。
さて、手眼はどこにあるのでしょうか?

雪竇和尚は最後に「オラオラッ!!」ともおっしゃいました。

なんでまた、そんなガラの悪いことを言ったのでしょうか?

・・・引き続き、修行あるのみですね。

<全身が眼 完>

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