サイの角で作った団扇 4/4話(出典:碧巌録第九一則「塩官犀牛扇子」)

雪竇和尚は「長いことサイの角で作った団扇を使ってきたのに、今どこにあるのかと聞かれたら、誰も知らない」と言いました。

実は、人はだれでもこの「サイの角で作った団扇」を持っていて、一日二十四時間、寝ている時も起きている時も、片時も休まずそれを使い続けているのです。

だというのに、なぜ、誰もそれがどこにいったか知らないのでしょうか?

侍者はもちろん、投子和尚から保福和尚まで全員ご存知ない。

以前「五台山の怪異(第三十五則)」の回でご紹介した無著(むじゃく)和尚が五台山で体験した怪異の話を覚えていらっしゃいますでしょうか?

無著和尚は岩山を一人で歩いていた時に謎の寺を発見し、中にいた寺の主とお茶を飲みながら世間話をしたのですが、そのお寺の茶碗はなんとクリスタル製でした。

寺の主は、そのクリスタル碗をこれ見よがしに持ち上げて言いました。

寺主:「ところで、南の方にはさ、こんなのってあるの?」
無著:「ねぇよ!(怒)」

寺主:「へぇ(嘲笑)、じゃ、どうやって茶を飲むのさ?」
無著:「・・・・・・」

もし貴方がこの会話の意味を本当の意味で理解できるなら、「サイの角で作った団扇」は限りなく「すがすがしい風」を送り続けることができるアイテムであることを理解し、また、その「サイの角」が並外れて立派なものであることがわかるでしょう。

保福和尚らが塩官和尚のエピソードに思い思いのコメントをつけたのは、明け方の雲や夕立が通り過ぎたあとにどれだけ追いかけても追いつくことができないようなものです。

雪竇和尚はまた、「もしも「あのすがすがしい風」にもう一度吹かれ、「角」をもう一度生やしたいというのであれば、オマエら一人づつ何か気の利いたことを言って見せろ!」と言い、さらに「団扇が破れたというのであれば、ワシにサイを返してくれ!」と言いました。

ここで進み出て、「それでは皆さん、部屋に戻って修行を再開してください!」と渾身のボケをかますことができた僧は、なかなかのものです。
まずは、その場の主導権を雪竇和尚から奪い取ったわけですから。

ただ、私に言わせれば、これではまだ八十点です。
無言で雪竇和尚が座っている講演台をひっくり返せば百点だったのですが。(笑)

最後に読者のみなさまに質問です。

この僧は、果たして「サイ」とはいったいなんのことか理解していたのでしょうか?

もし「理解していない」というのであれば、なぜ進み出てボケをかますことができたのでしょうか?

「理解している」ということであれば、雪竇和尚はなぜ「クジラを釣ろうと思って釣針を投げ入れたのに、カエルがかかってしまうとは」などと、この僧を否定するようなことを言ったのでしょうか?

みなさま、この点、是非ゆっくり考えてみることをおススメします。

<サイの角で作った団扇 完>

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