抱っこひもを紐解く

「抱っこひも、それは時代を映す鏡である」

と誰が言ったか知らないが(たぶん誰も言ってない)、育児に必要なものの上位にランクインする必須アイテムであることは間違いないだろう。育児経験のない方には全く縁のないものだと思うが、あえて今回はそれについて書いてみようと思う。

自分も子供が生まれるまで抱っこ紐(だっこひも)のことなどひとかけらも考えたことがなかったし、自分が子供の頃には現在のように高機能なものは存在しなかったはずである。
この抱っこ紐には本当に助けてもらっていて、子供が2歳になろうとする今でも、雨の日やどうしても寝てくれない時などの必殺技のひとつとして重要な役割を果たしている。
困った時の抱っこ紐、一家に一本(?)抱っこ紐なのである。

そもそも抱っこ紐というのはどんなものか。
web上のデジタル大辞泉からの引用によると、「乳幼児を抱く際に使用される紐や帯」と定義されている。英語だとbaby carrierと呼ばれるらしい。
街を歩けばかなりの確率で目にすることが出来ると思うが、その出現と定着の過程には実に興味深いものがあった。

まず、育児の先輩たちのおすすめなどを参考に最新の抱っこ紐を買いに行こうと思った時、その機能に驚かされた。(値段にも。結構なお値段である)
定番のものは肩と腰で子供の体重を支える前向きのリュックサックのような構造になっているベビーキャリアと、スリングと呼ばれる伸縮性に優れた大きな布で赤ちゃんを包むようなものがあり、自分もこの2種類を使い分けてきた。

ベビーキャリアには子供を前に抱いて向かい合う形、子供を外向きにして抱く人と同じ方向を向く形、そして日本の伝統、おんぶの形がそれぞれ出来るようになっているものもあり、素材も通気性や耐久性を考慮したものがふんだんに使われている。
脱着時に赤ちゃんの脱落を防ぐための安全ベルトが付いているものもあるが、安全性と機能性の両立を追求したために正しい装着法がわからなくなるという事態にもなっている。
機能が多すぎて説明書なしに正解を出すのが困難なのは近年の家電製品にも同様のことが言えると思うが、このあたりの利便性もこれからどんどん進化していくことだろう。
スリングは長時間の抱っこには向かないが、脱着の容易さや軽くて小さくまとまるので持ち運びもしやすく、家庭内での寝かしつけやちょっとした買い物などの時にはとても役に立つ。

もしこのような高機能な抱っこ紐の存在がなかったら、今ほど自由に小さな子供を抱いて一緒に行動することは不可能だったろうし、なかなか寝てくれない乳幼児を眠りに導くためにも、その存在はもはや育児に欠かせないもののひとつになっている。
webやスマートフォン同様、我々はもう抱っこ紐のない世界に戻ることは出来なくなってしまっているのだ。

しかし、自分や兄弟、親戚の子供時代などを思い出すと、ほとんどは背中に背負った、いわゆる「おんぶ」されている状態だったような気がする。使われていたのは抱っこ紐ではなく、「おんぶ紐」である。
現在では割烹着とセットであまり見かけることのなくなった「おんぶ紐」。時代は「おんぶ」から「抱っこ」へと確実に移り変わったと言えるだろう。

この抱っこ紐というものはいつ頃からこんなに普及し始めたのであろうか。疑問に思ってちょっと調べてみると、想像を超えた育児用具の変遷の歴史がそこにはあった。
実はおんぶという文化は日本ではなんと800年以上前から存在し、抱っこ紐新時代へと変遷したのはこの4、50年のことらしい。
心の中で(これはまずい、1回の連載では終わりそうにない予感がする)と思いながらも、「おんぶで育ち、抱っこで育てる」というハイブリッドな体験をしている自分は、日本の育児の歴史の中でかなり貴重な場面に遭遇しているということもわかった。

自分が生まれた1970年代以前の日本では、やはり背中に背負う「おんぶ」が主流だったらしい。おんぶの利点は、なにしろ両手が空くことで仕事が出来るということである。
抱っこでも現在のようなベビーキャリアであれば両手を使うことが出来るが、それでもおんぶと比べるとその自由度はかなり違ってくる。
特に多くの人々が農業などに従事していた昔の日本では、育児をしながら田んぼや畑の仕事をし、同時に炊事や洗濯などの家事をするためにおんぶは非常に効率的な方法だったのである。
その後、養育者の身体への負担や子供の発育にとってより適切なものとして抱っこが推奨されるも、それが実現されるまでの背景には養育者の労働環境の劇的な変化が関係していたのである。

端的に言うと「おんぶ」は手足をフルに使う肉体労働をしながら育児をするための方法であり、「抱っこ」は仕事として限りなく育児に専念するための方法と言っても良いと思う。
子供にとっては後者の方が良いことは間違いないだろうが、そもそも育児に専念出来るような環境がそれ以前には存在しなかったとも言える。
子供をおんぶしているお母さんの姿を想像すると、なぜか少しもの悲しい気持ちになり、「かあさんがあーよなべーをして」というBGMが勝手に脳内に流れてきてしまうのは(自分だけかもしれないけど)、この辺りに重要なヒントがあるように思う。

1980年代に入ると、男女雇用機会均等法の施行などにより女性の社会進出も一層盛んになり、非常に手がかかるクリエイティブな作業である「育児」そのものが重要な仕事のひとつとしてようやく認知されるようになる。
これは養育者にとって非常に大きな変化であり、もし日本における「育児暦」のようなものがあるとしたら「抱っこ紐」以前の暦をB.D(before dakko)と呼びたいほどである。
そして暦を遡ると、さらに日本の育児の歴史には現在の常識では考えられない、独自のものがたくさんあることがわかった。

次週は引き続き抱っこ紐からもう少しテーマを広げて考えてみようと思う(もう広げすぎだけど)。

(by 黒沢秀樹)


※編集部より:ご紹介できるのは一部ですが、全部のお便りを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム