この連載「だいじょうぶ、父さんも生まれたて」の自分のプロフィールにちょっとだけ変更がありました。
「現在2歳の息子の子育て中」です。
1歳半から始めてから半年がたったわけです。もう半年、と思うと同時に、まだ半年しか経っていないのか、という気持ちもあります。
この連載は本来は4月に予定していた風木一人さんとのイベントに向けてのものだったのですが、イベントと呼ばれるものが新型コロナウィルスの影響でほぼ全て中止になってしまったので、とりあえず連載だけでも続けることにしました。
これまで毎週読んでくれているみなさんにあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
色々と脱線しながらも、父親として生まれたての自分もようやく2歳になったことになります。そんなわけで今回はテーマを決めずに思いつくままに書いてみようと思います。
この2年間、いや半年は、この連載がなかったら自分は育児についてきっとほぼ何も思い出せないことになっていたことでしょう。
連載の初めにも書きましたが、育児は日々が新しいことの連続で、子供の成長の速さについていくのがやっとで、自分のことなど考えている時間がほとんどない状態だと思います。多くの育児の先輩が、「そんなことあったなあ、もう忘れちゃった」という言葉を何度聞いたことか。それほど大人の時間の感覚と、子どもの育つ時間の感覚は違うのでしょう。
息子の誕生日のお祝いに何かプレゼントを、と思い、最近水遊びを覚えて雨上がりの泥水の中でジャンプしまくり、全身水浸しで泥まみれのまま抱きかかえて歩くことがあったので、長靴とレインコートを買いました。結果、「ぽいっ!」と玄関に何度も放り投げられ、まだ一度も履いてくれていません。
そしてお気に入りの靴はスーパーで700円くらいで買ったもので、皮肉にもこれは実に泥をよく吸い込みます。
そういえば冬場にも寒いだろうと思って買った、中にもふもふのついたブーツを「ぽいっ」とされたことを今思い出しました。
彼はきっとブーツみたいなものが好きではないのでしょう。そのうちカッコいいブーツが欲しいなんて言われたら、スーパーで一番安いものを買ってきて「ぽいっ!」と放り投げてやろうと今から心に決めています。
僕はもともとが凝り性なので(だから音楽なんかをやってきたわけですが)、ちょっと気になることがあるとついその深みにハマってしまうところがあります。この連載を読んでくれているみなさんには僕のそんなところがバレているかと思いますが、実は僕の育児に対する向き合い方も、音楽と全く同じような部分があるとあらためて感じています。
かっこいいなあ、すごいなあ、泣けるなあ、なんて素晴らしい演奏なんだろう、と思う音楽が誰によって作られ、いつどこで演奏され、録音され、どのようなプロセスを経て世の中へ出現したのか。好きな曲やアーティストについての情報を集めて、その楽曲の向こう側にはどんな秘密があるのかを考えるのが好きでした。そしてそれを知ることによって、自分にとって音楽はそれまでよりずっと魅力的で、リアリティーを持って感じられる様になりました。
例えば僕が幼少期から親しんできたビートルズやビーチボーイズの音楽の生まれた社会的、文化的な背景とその変遷、そこに至るまでのわずか数年間に起こった様々な出来事が、その時代に生きたミュージシャンたちにどんな影響を与え、彼らがそれを感じ何を生み出したのか。
その底辺にあるのは社会と個人の繋がり方でもあり、ロックやポップスはその時代を映す鏡の様な存在であったことがようやく理解できる様になりました。
育児がクリエイティブだ、と僕が思うのは、そこに共通のものを感じられるからです。全く同じ曲がないように、全く同じ子どもはひとりもいません。その背景、育児というプロセスの中にこそ、その子どもたちそれぞれのストーリーがあり、それが個性として進化しながら継承されていく。そのことに価値があるのではないかと今、僕は思っています。知れば知るほど音楽と同様、育児は時代を映す鏡だ、と感じています。
ちょっと真面目な話になってしまいましたが、今は抱っこ紐から育児用具の変遷を経て、おんぶについて別の視点から考えを巡らせています。来週はそんなことを書こうかと思います。
(by 黒沢秀樹)
※編集部より:全部のお便りを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム>