よいしょ

ここ数回は抱っこ紐からはじまり、時代や場所によって様々な育児の方法や育児用具の変遷、さらにおんぶについての考察から共同注視まで、どんどん深みにハマってきてしまったので、今回はあまり難しい事は考えないように主に発語についての近況を書いてみようと思う。

最近2歳になった自分の息子は、ようやく言葉を使ったコミュニケーションをとるようになってきた。
「あんまん」(アンパンマン)「たーしゅ」(トーマス)「ぽっぽ」(鳩)「ぶーぶー」(自動車)「にゃあにゃ」(猫)「にゅうにゅ」(牛乳)など、興味の対象に名前をつけて呼ぶようになり、その語彙もかなり増えてきた。
さらに「どうぞ」と物を差し出したり、「だーだ」と抱っこを要求出来るようにもなった。ちなみに気に入らないものや興味の湧かない事は今のところ全て「ばいばい」で片付けている。
例えば毎日のように食べていたバナナに飽きてきて、それに代わる形でスイカが登場した場合、バナナを見せると「ばいばい」と言うことになる。
テレビに録画してあるアニメのサムネイルを見せ、気に入らないものを選択すると「ばいばい」、遊んでいる途中にお風呂に入れようと服を脱がせようとすると「ばいばい」、ごはんのおかずに気に入らないものがあると「ばいばい」、そして通り過ぎる電車に向かっては本来の意味に近い「ばいばい」を使い分けている。
まさに「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と言う感じである(←たぶん違う)。そしてまだ解明できない謎の言葉も多々あるが、それらはこの先徐々にその意図が明らかになってくるであろうことを期待している。

ある日の朝、カーテンからうっすらと朝日が漏れる中、もぞもぞと動き始めてベッドを抜け出し、すんと立ち上がった息子がじっと自分を見つめて発した言葉は「パンっ!」だった。
まずは「おはよう」だろう、と心の中で思いつつも、そのあまりのストレートさに少しだけ羨ましさを感じてしまった。起きた瞬間に欲しいものを一言で言い放てるような人生はなんとシンプルで素晴らしいものだろうかと思う。彼はとりあえずパンが食べたかったのである。人はパンのみで生きるものにあらず、と言う聖書の言葉もあるが、それはまずパンを食べてみてからの話であり、ややこしい事は全てその後でいいのである。

日本に生まれたからには「いただきます」「ごちそうさま」のような挨拶をきちんと覚えてもらおうと毎回食事の度に教えているつもりだが、自分の息子はいまだに「いただきます」をする前に手が伸びることが多いのに対し、「ごちそうさま」は手をパチンと合わせて「ごしゃあん」のようなことを言うことが多いのは不思議だ。

犬や猫などの動物の場合は、「いただきます」のような事を「おすわり」や「待て」の形で教える事は比較的容易だ。おすわり、待て、と言う一連の流れがご飯をもらうために必要な動作の刷り込みになるからであり、それが食事と直接紐づけられるからだろう。なので動物は「ごちそうさま」はあんまりしない。お腹がいっぱいになったらそれで充分満たされるわけで、それ以上の行動は意味がないからである。

なぜ息子は「ごちそうさま」の方をよくするのか、これは動物の本能的行動とは少々矛盾する謎である。このあたりも気にはなるところだが、また深みにハマりそうなので別の機会の楽しみにとっておくことにしよう。

以前クローゼットの引き戸にクレヨンで見事な抽象画を描いた時に「あーあー」と思わず自分が言ってしまったことから、その後何かと「あーあー」というようになった息子だが、最近自分が気をつけているからか、あまり言わなくなった。
そして最近登場してきたのが定番「よいしょ」である。子どもは最も近くにいる養育者の言葉や行動をすぐに取り入れるので、自分が気付かずに言っている口癖などはすぐに真似をするようになってしまうのだ。

気がつくと何をするにも「よいしょ」と言っている自分に気がついたのはこの数年のことだが、これはやはり年齢のせいなのだろうか。若い時はこんなにいちいち声を出さなくても出来たことが、出来なくなってきているのである。仕事に向かう時には「よし、やるぞ!」のような独り言を言う事はあったが、最近はまず立ち上がるだけで「よいしょ」と言ってしまうし、もはや寝る時でさえ「よいしょ」と言いながら布団をかぶっているような気さえする。そりゃ子どもだって真似をするはずだ。

そもそも「よいしょ」と言う言葉の意味はなんなんだろうか、とふと思った。歳をとるとなぜ「よいしょ」が必要になるのか。
「よいしょ」の語源は諸説があるらしいが、僧侶が修行中に唱える六根清浄(ろっこんしょうじょう)という仏教用語から来ているという説や、「さて、用意しよう」が略されたという説、ヘブライ語の「ヤ・イシュ」という神に救いを求めるという意味の言葉もあるらしい。
いずれにしろ、自分を奮い立たせるために言葉の持つ力を借りよう、という点では共通である。
何かの力を借りないとやってられなくなってくるのである。
そう言う意味では子供の言う「よいしょ」はなんだか滑稽であり、愛嬌を感じさせる。

世に言われる「イヤイヤ期」というよりも先に訪れたこの時期を、自分は勝手に「よいしょ期」と名付け、しばし「よいしょ期」を楽しもうと思っている。

(by 黒沢秀樹)


※編集部より:全部のお便りを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム