「思い出の夏休み」

今日は新学期のスタートに合わせて無理やり書かなくてはいけない作文のような気分でこのノートを書いている。「夏休みの思い出」これは今でも続いている宿題のタイトルの定番なのだろうか。
とはいえ、これは自分の子供時代の宿題とは違う。子どものころのそれはなんとかでっち上げなくてはならないものだったが、今は子どもと過ごした時間の備忘録として書いておきたいという気持ちがあるからだ。以前にも書いたが、養育者の育児中の記憶は驚くべき速さで消えてしまうので、自分が覚えているうちにこの夏に何があったのかを書き残しておきたいのだ。

そんなわけで、少しでも自分の記憶に引っかかるようにタイトルも変更した。同じ意味でも配置を変えるだけで言葉の印象はずいぶん変わる。
「思い出の夏休み」はまだ何かのタイトルにしても許される気がするけれど、「夏休みの思い出」になるとどうにもあまり興味が湧かなくなるのは自分だけではないと思う。これはなぜかというと、「夏休み」という言葉と「思い出」という言葉の持つキャラクターというか、立ち位置が違うからである。
「夏休み」はある程度誰にでもイメージのつかめる普遍的な言葉である一方、「思い出」というのは人それぞれ全く違う。僕たちは自分の中にないものを知りたいと思う傾向があるので、書き手の個人的な「思い出」を打ち出す方がより興味をそそられることになると思う。
ちなみに、他にも

「思い出に夏休み」
「思い出は夏休み」

などという候補があった場合、そのタイトルに見合った内容のストーリーが生まれる可能性があるわけで、詩や文章を書くという作業はこういったことの積み重ねと試行錯誤の末の結果なのである(たぶん)。

また脱線してしまったけれど、思い出の夏に戻ろう。
自分の子供の頃を思い出すと、夏休みに母方の実家に出かける以外、親子で旅行に出かけたような記憶はほとんどない。これは環境によるものが大きかったと思う。
自分に子供が生まれて思ったことは、子どもがひとりいるだけでもこんなに大変なのに、兄弟がいる上、さらに面倒をみなくてはいけない家族がいるとなると、余程のこと(主に冠婚葬祭などの義理ごと)以外で家族全員が連れ立って出かけることはほぼ不可能だったのだと思う。
どこかに出かける時は両親が揃って一緒にそこにいることはほぼなく、主に自分は叔父や叔母と、年の近い従兄弟にあたるその子どもたちとどこかに一緒に連れて行ってもらっていた記憶が残っている。
そんなわけで、自分は親子だけでの家族旅行という経験がほぼないので、それがどういうものかよくわからないまま大人になってしまった。もちろんそれになんの疑問も持たなかったし、必要だと感じたこともあまりなかった。

大人になってからは幸運なことに国内外を問わずいろんな場所に行くことが出来たが、それはほとんどが仕事絡みのもので、純粋にただどこかに休みをとって遊びに行くということに対して何か後ろめたいような気持ちが心のどこかにあった。これはフリーランスや自営業の特徴でもあるが、積極的に休みを取るということがおそろしく下手なのである。

最近「黒沢さん焼けましたねえ、ってか、痩せた?いや、やつれ・・・大丈夫ですか?」と何人かの近しい知人に言われた。そりゃそうだ。そんな自分が今年の夏は、子どもを連れて毎週のようにいろんな場所に出かけている。
川や、海や、大きな郊外の公園など、なるべく混雑する場所を避け、電車やバスなどはほとんど使わずに行ける場所を探して車を走らせた。体力と気力のほぼ全てを総動員し、場合によっては栄養ドリンクなどで体力を前借りしながら夏休みを作った。

きっとまだ子どもに記憶はないだろう。しかし、自分にとってはすでに一生ぶんくらいの夏休みの思い出を作ることが出来た気さえしている。
この週末は海で水遊びをしてびしょびしょになった服を着替えさせ、昼寝をして汗をかいてまた着替えさせ、その後また全力で走り回ってシャワーで汗を流すこと数回、その度にオムツも替えることになったわけだが、この夏一番の忘れられない思い出は「しったー、しったー!」という声と共にお風呂にしっかりとした俵型のうんちがふたつ浮かんでいたことだった。
これは「トイトレ」(トイレトレーニング)という次のステップへのカウントダウンが始まったことを意味するのだろうか。きっとまだまだ思い出は積み重ねられるのだろう。忘れないように書き留めておきたい。

(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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