セミ、猫、子ども

気に入らないことやして欲しいことがある時、子どもはとりあえず泣く。先週は2歳半ばになる息子が成長と共に泣き方のバリエーション(背中で泣くなど)を増やしてきたことを書いたが、基本的に泣くことに変わりはない。

小さな子どもはひとたび泣きはじめると所かまわず地団駄を踏み、ひっくり返って手足をバタバタさせた挙句暴れてモノを投げはじめたりもするが、その様子はまるで夏の終わりにベランダに迷い込んだセミのようである。
子どもがセミ状態になった時、自分も含め多くの養育者は「泣かないで」「やめなさい」「みんなに笑われるよ」「そんなに泣くならもう知らないよ」などとつい子どもに言ってしまいがちだ。
しかし、残念ながら実際にこの言葉の効果はほとんどない。効果がないどころか、火に油を注ぐ結果になることもしばしばだ。手に負えなくなって最終的に養育者も一緒に泣きはじめてしまうというよくわからない状況になることを避けるためにも、養育者にもそれなりの対処方法のアップデートが必要になってくる。
子どもはどんどん大きくなって言葉も話しはじめ、体力もついてきて走り回ったりするので以前と同じような対処法には限界があることは間違いない。果たしてどんな方法があるのだろうかとぼんやり考えてみた。

たとえば子どもの絶叫を猫が「にゃあ」と言っているのと同じようなものだと考えられないだろうか、とふと思った。子どもは泣くし、猫も鳴く。ベランダのセミは暴れる。ごく当たり前のことである。絶叫を脳内で「にゃあ」に置き換えてみるのだ。

「にゃあ」
「なに?おなかすいた?」

「にゃう」
「トイレの砂?」

「ふぎゃあ」
「どこか具合悪いのか?」

「うにゃあっ」
「ああ、水がなかったのね」

ほとんどこれと同じような心持ちでいることが出来たら問題はないだろうが、やはり子どもはそう簡単にはいかない。しかし、何を伝えようとしているのかを汲み取ろうとすることは、ただ泣いている状況を止めようとすることよりも多少効果があるような気がする。
「やめなさい」と言うのはその行為を強制的に止めることであって問題の根本を解決することにはならないが「どうして泣いているのか」を考えれば解決への糸口が見出せることがある。急がば回れである。

息子の場合、主にアニメの続きが見たい、もしくは冷蔵庫の中に隠してあるフルーツが食べたい、などわかりやすいことが多いが、難しいのはそれが不可能であることを理解させることだ。
目の前にあるのにそれをくれない、という大人の事情が子どもには理解出来ないのである。こればかりはもう少し言葉でのコミュニケーションが出来るようになるまで待つことになるだろう。
ともあれ、公共の場所などで子どもが泣き叫ぶと、自分も含め多くの養育者はまわりに迷惑をかけているのではないかと過剰に気にしてしまう。それゆえに無駄だとわかっていながら先のような発言をしてしまうわけだが、それは自分たち日本人にはその場の「空気を読む」ことや「慮る」ことを美徳とする文化が底辺にあるからかもしれない。それはそれで素晴らしいものだが、文字も読めない子どもに空気を読めと言っても到底無理な話である。
そもそもまわりの「空気を読む」ことは効率的に自分の考えを相手に伝えるための手段であり、まわりを気にして子どもに「泣くな」と言うような状態は、実は「空気に飲まれている」だけなんじゃないだろうか。まわりの空気を読む前に、まずは子どもの気持ちを慮ることを優先することが出来るような空気に満ちていて欲しいものである。

子どもはちょっとしたことがきっかけで号泣したかと思うと、次の瞬間にはケタケタと笑いながら走り回る実に理不尽な生き物だが、このような行動を見ていると、大人にも共通している部分が多くあると思う。
背中で泣く子どもがいるかと思えば、突然ハイテンションになったり怒って当たり散らすような大人がみなさんの周りにも少なからずいるだろう。昨今急増しているモラハラ、パワハラと言われるものや、他人を巻き込んで不快にさせる行為を無自覚にしてしまう人たちがいるが、こういう人たちの行動は2歳くらいの子どもと非常に似ているような気がする。

子どもは養育者に自分の気持ちをわかって欲しいが故に泣いたり叫んだり、時には暴れたりするわけだが、大人がそれをした場合、相手に理解されるどころかドン引きされて一層相手を遠ざける結果になってしまう。これは自分の気持ちを理解してもらうために必要なコミュニケーションの手段を持てないまま大人になってしまった結果ではなかろうか。
テレビをつけると立派な肩書を持った大人同士が2歳児と変わらないような討論をしていたりするが、自分の子どもにはそういう大人になって欲しくはない。
それにはまず、養育者である自分自身が、絶叫したりセミにならずともきちんと意思を伝えられるような大人であることが大前提だろう。

あらためて友人の言葉を思い出す。「子どもがいる人、いない人、子どもが好きな人、嫌いな人もいるが、子どもじゃなかった人は誰もいない」。
これは親になってはじめて実感したことだが、世の中の多くの人たちは、自分もかつては子どもだったことを忘れてはいないだろうか。そして自分も、ひょっとして今でも2歳児のような行動をしてしまうことがないだろうかと考える。
ともあれ、子どもでも大人でも、泣いている人の気持ちを受け入れられないような社会は、全くもって滑稽で、変てこだと思う。

(by 黒沢秀樹)

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