「思い切り、イヤでいい」

ちょっと前に息子が第一次反抗期(通称イヤイヤ期)に突入したのではないかということを書いたが、その時期はまだ気に入らないことがあると全て「バイバイ」で片付けていた「バイバイ期」であった。しかしここにきてついに「いやだ」という言葉を覚え、めでたく(ないけど)「イヤイヤ期」が完成したようである。

「道路では手を繋いで歩こうね」
「やだっ」

「帰ってきたら手を洗うよ」
「いやだ」

「そろそろお風呂入ろうか」
「いやだっ」

「パンはもうないよ」
「やだっ!」

「りんご食べる人?」
「イエーイ!」

このように生活のかなりの部分がイヤらしいが、ひとりでおもちゃで遊んでいる時でさえ「いやいやあ」と言い続けているのを見ると、きっとこの言葉が自分の気持ちを表現するものとして非常に有効だということに気がつき、とにかく言いたくて仕方がないようである。
以前も書いたが、子どもが誰かに「イヤ」だと言えるという事は、自分と他人の間に境界があることを知り、その上でコミュニケーションを取れるようになるために必要不可欠なものではないかと思う。それまでは絶叫するか暴れるかしか表現の方法がなかった子どもが言葉を使った意思表示をするのは大きな成長だと考えても良いだろう。

しかし、何かにつけて子どもが「いやだ!」と言うのは養育者にとっては困った問題である。
全く言うことを聞かずにやりたい放題をされるとこっちがイヤイヤ期に入ってしまいそうになることもあるが、同時になぜか自分はそれが清々しく感じてしまうことがあるのに気がついた。
これはどういうことなんだろうと考えてみると、自分自身、遊んでいる途中に着替えさせたり、オムツを替えられるのはイヤだろうなと心のどこかで思いつつそういうことをずっと言っているわけで、そこに躊躇なく「やだ!」と言われると、そりゃそうだろうやっぱりね、という気持ちになり、逆によくぞそこまではっきりと自分の感情を表現した、と感心してしまったりするのである。

そう考えてみると、自分はこんなにはっきりとネガティブな感情表現をすることがないからかもしれないとも思った。ほとんどの普通の大人は、本当はちょっとイヤだなと思っていながらも「大丈夫ですよ」などと言ってしまうことが日常茶飯事だろう。それは社会生活を円滑に送るために身につけた手段であり、お互いを思いやることが出来る共感から生まれるものだ。
しかし、イヤなものをイヤと言って悪いわけではないはずだ。子どもに「やだっ」と言われるとなんだか悪い気がしないのは、このようにはっきりものが言える事がちょっと羨ましいのかもしれない。

とはいえ、いつまでもイヤイヤが通用するわけではない。世の中にはルールというものがあり、それは自分が決められるものではないのである。どんなにイヤでもしなくてはならないことはあるし、許されることとそうではないことがあることに気が付く時期が来る。自分のようなルールがあるのかないのかわからないような仕事をしている人間でさえそう思うのだから、世の中のほとんどの人たちはもっとルールや常識に厳しいはずである。ミュージシャンだって交通ルールは守らないと切符は切られるし、税金は払わなくてはいけないのだ。

しかし、だからこそ子どもには「イヤ」をきちんと言って欲しいと思う。誰にだって好きなことや嫌いなこと、楽しいこと、悲しいことはあるだろう。「イヤ」が感情の表現であるということならば「スキ」も同じ感情表現である。「イヤ」がきちんと言えないなら「スキ」も言えないということになる。
小さな子どものうちから大人に気を遣って顔色を伺ったり嘘をついたりするくらいなら、思い切り「イヤ!」と言ったり「スキ!」と言ってくれた方がよほどありがたい。どんなに好きでも、どんなに嫌いでも、全てが自分の思うようになるわけではないのだ。だからこそ、自分の気持ちはとりあえず伝えられた方がいいだろう。
前にも書いたが、大切なのは「イヤ」と言わないことよりも「やりたいことをして、その結果をきちんと引き受けること」である。

そんなわけで、息子が「イヤだ!」と言っておもちゃや食べ物を投げたりした場合、すみやかにそれは没収されて目の前からなくなる、ただそれだけの事を自分と息子のルールにしようと考えてみた。どうなるかはわからないが、しばし様子を観察してみようと思う。
そして自分ももう少し「イヤ」と「スキ」を上手に言えるようになりたい。

(by 黒沢秀樹)

昨日、黒沢秀樹さんと風木オーナーのトークショーはおかげさまで盛況のうちに終了いたしました。ご参加の皆様ありがとうございました!
引き続き展覧会は12月1日(火)まで開催しております。よろしくお願いいたします。
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