三歩進んで二歩下がる〜人生はアンパンチ

外出する時に子どもに靴下を履かせようとすると、「やだ、ぽいっ!」と半分履かせた靴下を放り投げられた。無理に履かせようとするとアンパンチを炸裂させた挙句走って逃げ出すので、仕方なく靴下を入れてある箱ごと目の前に出し「今日はどの靴下がいい?」と聞くと、「これ」と選んだのはクリスマスの柄だった。
そんなわけでもう季節はすっかり春になったが、息子の靴下には時折サンタクロースに扮した熊が書いてある。サンタがサーフボードに乗ってやってくるという南半球ならまだしも、この時期にクリスマスの靴下というのもどうかと思うが、何にせよ履いてくれないよりはずっとマシである。いうことを聞かない人間に選択肢を与えて折衷案を探るというのは、子どものみならずなかなか有効な手段のひとつだ。

靴下ひとつとってもそうだが、終わりの見えない第一次反抗期の真っ最中の息子は、何かといえば「イヤ」という。そしてさらに最近ではその表現にもバリエーションが出てきた。
「いや」「やだ」「いやだ」「やだのん」「やーだーようっ!」というように、その表現力はどんどん増してきており、特に「やーだーようっ!」は若干の距離を取りながらやや前のめりで繰り出されるので、かなりプレッシャーを与えられる。
たとえばお風呂に入ろうと必死で説得しているにもかかわらずそんな態度を取られると、こちらもだんだん腹が立ってくる。
食事の時にりんごが食べたいと言うので食べやすい大きさに切って出すと「いやー!、りんごいらない」と皿ごと押し戻される。
「りんご食べるって言ったでしょう」と言っても「いや」の一点張りである。
そのうち「すぷーん」と言い出す。せっかく食べやすい大きさにカットしたのにスプーンとはどういうことだ。そもそもスプーンではなくフォークじゃないのかと思いつつスプーンを渡すと、りんごをわざわざスプーンに乗せて、それを「とうさん、てつだう」と言って差し出してくる。どうやら「切ったりんごを」「スプーンに乗せて」「食べさせてほしい」ということらしい。

心の中で思わず声が出る。「めんどくせえ!!」

しかし間違っても子どもにそんなことを言ってはいけない。ネガティブな言葉は子どもにモデリングされて自分に返ってくる。そのうちに子どもから「おやじめんどくせえ!」と言われる日が必ず来るのである。
りんごをスプーンにのせて「あーん」というと、口を大きく開けてようやく食べる。飲み込むとその後もまたスプーンを差し出してくるので、乗せて食べさせる。

最近このような状況がよく起きるが、これは世にいう「退行」と呼ばれるものらしい。2歳から3歳くらいの子ども、特に下の子どもが生まれた時によくある現象だが、ひとりっ子でもめずらしいことではないそうだ。自分にもっとかまってほしいという気持ちが、まだひとりでは何もできなかった頃の行動として表出してしまうらしい。
この時に「もうひとりでできるでしょう!」などと言ってしまうと、子どもはもう養育者から大切に思われていないんだという認識をしてしまい、ゆくゆく盗んだバイクで走り出してしまったりする原因になったりもするらしいので困ったものである。

しかし、このような場面でどこまでポジティブに考えられるかが養育者たる大人の勝負どころである。というか、こんなことでいちいち腹を立てていたらとても身が持たないのである。
ここはひとつ、ひたすらいやがるだけだった子どもが、より細かく自分の要求を表現できるようになってきたと考えることにして、思いっきり赤ちゃん返りを楽しんでもらうことが正解だと思うことにした。子どもの退行は愛情の確認、そして貯金のようなものだと考えればいいのかもしれない。
思えば自分自身も頼れる人にはつい甘えすぎてしまったり、逆に頼られすぎてしまったりすることもあるが、そのバランスをうまく取りながら生きていくことができれば、ずいぶん人生は楽になるのかも知れない。当然だが人間はひとりで生きていくことは難しい。上手な甘え方を知っているということは、何にも増して役に立つスキルだと言えるだろう。

緊急事態宣言の再発出もあり厳しい状況が続いているが、育児はただでさえ毎日が緊急事態である。こんな有事にこそ大人も子どもも、みんなが上手に甘えたり甘やかしたりしながら、少しでも楽しく穏やかな日々が送れることを願っている。

(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
ホテル暴風雨は世界初のホテル型ウェブマガジンです。小説・エッセイ・漫画・映画評などたくさんの連載があります。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter>