子どもの問題、大人の問題。

自分が養育者という立場になり、必要に迫られていろんな本を読み漁ったりしているうちに、子どもの問題と大人の問題は、本当に地続きであることを実感している。
昨今話題になっている「いじめ」の問題。これについてもあれこれ思うことはある。

「いじめ」というのはずっと子どもの問題だと考えられていたが、今は「ハラスメント」という新しい名前がついて大きな社会問題になっている。しかし、その構造はほとんど「いじめ」そのものではないだろうか。これは大人の問題が形を変えて子どもに継承されているだけなのではないかと思う。

自分の幼少期を振り返ると、父はいつも怒っていた。
もちろん父は優しいところもあったし、周囲の人たちからの信頼も厚い人だったが、子どもの頃の自分はどうして怒られているのかわからないので、何が悪いのかが全く納得がいかなかった。とにかく「ダメと言ったらダメ」なのである。いうことを聞かないとゲンコツやビンタが飛んでくることも珍しいことではなかったし、物置に閉じ込められたりすることもあった。それらは全て「しつけ」という言葉で正当化されていたし、昭和の時代にはごく当たり前のことで、どちらかといえばそうするべきだとさえ思われていたのではないかと思う。
しかしこれは見方を変えれば、圧倒的に強い立場の人間(養育者)が弱い立場の子どもに行うハラスメントであると言えなくもないだろう。

今考えてみれば、たぶん昔ながらの昭和の教師だった父はそうするより他に子どもに対するアプローチの仕方を知らなかっただけなのではないかと思う。
どうしていけないのかをきちんと説明できるような父だったら、もしかすると自分はロックなんかやっていなかったかもしれないので、そういう意味では感謝の気持ちも半分くらいは持っているが、それを実感したのも父が他界し、自分が養育者という立場になってからの話である。

そんなこともあって自分の子どもには怒ることもあるけれど、それがどうしていけないことなのか、なるべくきちんと説明をしようと心がけている。
息子はまだ3歳で大人の話がきちんと理解できるとは思わないけれど、とにかく、自分の言葉でどうしてそれがいけないことなのかをはっきり説明できることはとても大切だと思っている。
自分の子どもは、自分とは全く違う価値観を持った(もしくは全く持っていない)存在なのである。

子どもと過ごしているとつい「ダメ」「いけません」「やめて」などの言葉ばかりを連発してしまうが、ついに先日「とうさん、怒るよー」と自分が言っていることを言い返されてしまい、反省した。子どもが叱られるのは当たり前だし、養育者が怒るのも当然だ。しかし、大切なのはその先である。悪いことを全くしない子どもなんているはずがないし、怒らない養育者もいない。大切なのはそれをお互いに「許してもらえる」ことなのではないかと思う。
まずは養育者がそのお手本を示すことができれば理想的だろう。大人でも子どもでも、人間誰にも迷惑をかけずに生きていくことなんてほぼ不可能である。そう考えると、それを「許してもらう」ことの方がよほど現実的だ。誰かに迷惑をかけても許してもらうためには、まずは自分が誰かを許すことである。そうすればかなり高い確率でその人に許してもらうことができるはずである。

失敗しても大丈夫。時には怒ったり叱ったりするけれど、ただそれだけのことである。大人にだって感情はある。子どもがいうことを聞かない時にイライラしたり、強い言葉で叱ってしまうこともたくさんあるだろう。それを子どもに許してもらえるように、きちんと子どもを許し、そして謝れる大人でありたい、と思っている。

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

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(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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