聞こえてないけど聞こえてる

「父さん、大きい声出さないで、アリさんだよ」と子どもに言われた。
自分は大きい声など出していないし、直前まで大騒ぎしていたのは子どもの方である。
これは大人の言ったことをそのまま模倣する「モデリング」というものであり、この少し前に大声で叫んでいた子どもに「もう夜だから大きい声出さないで。アリさんの声にして」と自分が言った言葉をそのまま言い返されたことになる。
そもそもアリさんの声は聞こえないのでたとえがおかしいような気もするが、そのくらい静かにしてほしいと言う意味で養育者はよく虫や動物をたとえに使ってしまうのである。
うっかり変なことを言うと(というか変なことほど)すぐ真似をされるので、この時期は特に気をつけようと自分に言い聞かせている。

このところの子どもの言葉の発達はものすごいスピードで、先週は「今日お花屋さんに行こうか?」と聞いたら「うーん、今考えてる」という返事が返ってきた。
「考えてる!?」本当に考えてるのかどうかは別として、要求か拒絶の2択しかなかったついこの前とはまるで違う生き物になってしまったようである。

大きな声を出さないで、と言ったのは、子どもが夕食もしっかり食べて寝る時間だというのに「ぶどうゼリーデモ」を起こしたからである。

「なんか食べたい」
「ぶどう味食べる」
「ぶどうじゃない!ぶどう味のゼリー食べたい!ぶどう味のゼリー!」
「ぶどう味のゼリーっ!ぶどう味のゼリーっ!ぶどう味のゼリーっ!!」

プラカードを持って国会議事堂の周辺を練り歩きそうな勢いだが、最近こういうことがよく起きる。そんな時は以前組み立てた絶叫対策マニュアルを参照するわけだが、これを作ったのは2歳半の頃で、3歳を過ぎてコミュニケーション能力が倍増している今の子どもには通用しなくなってきていることも多い。当時のマニュアルは以下である。

1、子どもの状態を確認する。
2、同じ向きに視線を揃える
3、ウンウンとひたすらうなずく。
4、伝えたいことがあるのか聞いてみる。
5、思いつく提案をしてみる。

1から3までは同様に使えるが、4・5に関してはちょっと違う。
まずは伝えたいことがよくわからなかった2歳半の頃とは違い、非常に明確である。「ぶどう味の」「ゼリーが」「食べたい」のである。りんごでもバナナでもなくぶどう味の、ジュースでもアイスでもないゼリーが食べたいという曇りのない要求がそこにはある。
それが確固たるものである以上、その要求が飲めない場合にする提案というのは「折衷案」や「妥協案」もしくは議題そのものをより大きなテーマに変化させるようなことになってくるわけだが、絶叫していること自体は変わらない。
そこでまず、要求の仕方をもっと効率の良い形に変化させるべく「より大きなテーマ」に方向転換を図ることにしてみた。
具体的には、大きい声を出さなくてもあなたの要求はきちんと伝わっている、ということを理解してもらうことである。
「大きい声出さないでください」
「ぶどう味のゼリー!」
「大きい声出さない」
「ぶどう味のゼリー!!」
「聞こえてる?」
「聞こえてない!!」(聞こえてるじゃねえか)

こういう場合はまずきちんと説明をし、しばらく子どものそばを離れる、という方法を試してみることにした。
2歳の頃はまだひとりにしておくと何をするかわからなかったので目が離せなかったが、今はもうひとりでおもちゃで遊んだり絵本を読んで遊ぶことができるし、自宅にいる限り危険なことをするリスクはかなり低くなった。
「父さんは夜に大きい声を出す人は嫌いです。だから大きい声を出す人とは一緒にいられません」
と言ってちょっと離れていると、しばらくは飛び跳ねたり絶叫したりして涙とよだれにまみれているが、そのうちに疲れて気が済むと何食わぬ顔で戻ってくることがほとんどである。そしてあらためて「父さんは大きい声を出す人は好きじゃないです。わかった?」と聞く。すると「わかった」ということが半分くらいの確率で起こるのである。ぶどうゼリーを提供するかどうかはその後の問題とし、「今在庫がない」「食べすぎるとお腹が痛くなる」など、あげられない場合はその理由をきちんと説明することも大切だろう。
つい「うるさい!」などと言ってしまい、さらに長時間の絶叫を喰らうことを考えると、「子どもを待ってみる」と言う方法はやはり正解のひとつであるような気がしている。
何しろ絶叫している時に何を言っても無駄なので、しばらく様子を見て落ち着いてから話をすることがポイントかもしれない。「聞こえてない」と言う時でさえ、「聞こえてる?」という言葉の意味は理解できているのである。
こうして3歳の絶叫対策マニュアルはアップデートされたわけだが、果たしてこの先どこまで通用するのかは謎である。

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

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(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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