愛猫のためを思ってしたことはすべて正しい
ムギが旅立って3週間半が過ぎた。いまも毎朝ムギのごはんとお水を出している。
ムギはいろんなものを残していった。ごはんやおやつ、トイレの砂、水のいらないシャンプー、肉球クリーム、吸水ペットシート、ラプロスやアムロジピンなど薬類、皮下輸液用のソルラクト液、注射針、シリンジ、21年間遊んだたくさんのたくさんのおもちゃ。
ムギのものはとりあえずすべてとってある。もう使いようがないものもあわてて処分する気持ちにはなれない。いきなり受け入れられるわけなどないのだ。当分はまだムギがいるような気分で暮らしたい。そのうちに「これはもういいか」「これもそろそろいいか」と思えるときがくるだろう。ひとつひとつ整理して、それでもずっと残るものもあるだろう。しかし本当に最後まで持っていられるのは心の中のものだけだ。
ぼくらはとても幸運だった。ムギは健康で長生きだった。猫の21歳は人間なら100歳くらいの長寿だ。猫も人も長く生きることイコール幸せではないだろう。長いか短いかよりその生涯が喜びに満たされていたかが重要だろう。しかし残された者が「天寿をまっとうしたんだから」と自分をなぐさめる材料にはなる。
ムギは機嫌のいい猫だった。好きなものが多く嫌いなものが少なかった。掃除機、ドライヤーなど嫌いなものもあったが激しく反応するのは最初だけだった。わりとすぐに慣れた。新しい家にもすぐ慣れた。順応性があるのだ。雷も地震も知らない人も怖がらなかった。こういう性格だとストレスは少ない。のん気におおらかに暮らしていた。だからぼくはムギが幸せだったと信じられる。
最後のころずっとそばにいられたのも恵まれていた。ぼくは絵本作家、妻はイラストレーターで、基本的に在宅仕事、さらにコロナがあったので打合せもオンラインになり、講演や講座の仕事も中止や延期になり、どこにも出かけなかったおかげで好きなだけムギの看病ができた。
病気の進行にともない、ムギの看病は手のかかるものになっていった。毎日の投薬、皮下輸液、なにより食べてくれないのには手を焼いてあらゆる手段を試してみた。新しい症状が出たらそれについて知りたくてネットや本で勉強するのにも忙しかった。大変だったけれど、弱っていくムギのためにがんばれることがあるのは嬉しかった。
できる限りのことはしたと思う。もちろん結果的に間違っていたことや足りなかったこともあとから考えればいくつもある。しかしそのときはそれしかできなかったのだ。
ある本にこんな言葉があった。「愛猫のためを思ってしたことはすべて正しい」
深く同意する。あとから自分を責めることには意味がない。できるときにできることをするしかないのだ。ムギのためにがんばったと思えることが悲しみの中でもぼくを支えてくれている気がする。

ムギのためにお花、絵本、お菓子、絵、手紙、メール、たくさんいただきました。深くお礼申し上げます。

天国から猫が帰ってくるお話!
急いで悲しみを消さなくていい
猫の慢性腎臓病は闘病期間が長くなる場合がある。愛猫が苦しむ姿を長く見なければならないつらい病気だという人もいて、それも理解できる。しかし一方でぼくは優しいとも感じた。長いからこそ少しずつ心の準備ができるのだ。とくに最後の1年はムギがぼくらのためにがんばってくれたような気がする。もし突然亡くなるような病気あるいは事故でムギが逝ってしまったなら、とても耐えられたとは思えない。
コロナで引きこもっていたのはムギの看病・介護のためにはかえってよかった。しかしムギが亡くなってみると、今度はコロナで人と会わない生活は変化がなく、気がまぎれない。旅行にも行けないし、展覧会や映画だって行きにくい。
ムギの世話がなくなってぽっかり空いた時間についムギのことばかり考えてしまう。朝、顔を舐めて起こしてくれたムギ。仕事しているとにゃあにゃあ呼びに来たムギ。膝にのって、なでるとゴロゴロいったムギ。
家で妻とふたり変化の少ない日々を過ごしていると、ムギを看取った夜から時間が止まってしまったようでもある。
いまも1階にいると2階に、2階にいると1階にムギがいるような気がする。
でもいつかはそんな「気」もしなくなるのだろう。ムギの姿が見えないのが普通になってしまうのだろう。そう思うとべつに急ぎたくはない。急いで悲しみを消さなくていい。ゆっくり悲しんで、ゆっくり立ち上がろう。
(by 風木一人)
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