ムギにお小遣いをもらう
ムギが行ってしまってから2ヵ月半経った。だいぶ落ち着いた。それでも、ムギのお気に入りの場所に目をやっては「このあいだまでここにムギがいるのが当り前だったんだ」と呆然とすることがある。
このブログ「猫が21歳になりました」を書いていてよかった。おかげさまでいつのまにかずいぶんたくさんのひとが訪れてくれるようになった。ほとんどは高齢の猫、慢性腎臓病の猫と暮らしていて、情報を求め検索でたどりつく方々だろう。
今もこれからも、ブログを読んでムギという猫がいたことを知ってくれる人がいる。ムギの経験がその人の猫さんの役に立つかもしれない。そう思うと、ムギはまだここに、ブログの中に生きていると感じる。
電子書籍にしたのもよかった。売れると少額だが収入がある。ムギからお小遣いをもらったような気分になる。
「これでお菓子でも買うといいにゃ」ありがとう。買うよ。
ムギは京王稲田堤からやってきた
妻はムギと21年いっしょに暮らしたが、ぼくはムギが9歳のときにはじめて会った。それ以前のことは知らない。
だから妻にムギの昔のことを聞いた。ぼくが知らないムギの前半生にあった面白いことやかわいいことを、ごはんの時間などに、あれこれぽつぽつ話してもらった。
友人のポーランド語の先生が保護していた子猫に会いに京王稲田堤まで行ったこと。それ以前に猫を飼ったことはなく、気持ちが決まっていたわけでもなく、とにかく見せてもらおうと行ったら、会ったとたん「このコだ!」と思ったこと。
身軽な子猫のときはカーテンを一瞬でよじのぼりカーテンレールの上を歩いたこと。
ワクチンは苦手で、毎回調子が悪くなるので、打たなくなったこと。
実家に住んでいたころお母さんが猫に毒とは知らずコーヒー豆をあげてしまいムギもポリポリ食べてしまったこと(幸いおなかを壊したりはしなかった)。
網戸を食い破って脱走したこともあったそうだ。でも庭からは出なかった。松の木に上って下りられなくなり「にゃあにゃあ」鳴いた。妻は段ボールに毛布を敷いてささげ持ち「ここに下りなさい」と言って受け止めたという。
ムギは物持ちがよくて(妻がか?)キャリーもトイレも20年ものだそうだ。子猫のときから使っていたのか。残されたもののうちいちばん大きいのがこの二つ。もう使うこともないがムギのものだから置いておこう。
首輪は3代目。2代目の首輪は出てきた。3代目同様使いこまれている。初代は見つからないが捨てはしないからどこかにあるはず。
ときどき首輪の鈴を鳴らしてみる。目をつぶるとムギの姿が見える。
妻はムギが小さなころの写真をあまりたくさんは撮っていない。もっと撮っておいてくれたらよかったのにと思う。
(by 風木一人)