愛猫が教えてくれた生きることと死ぬこと

自分ひとりでは何もできない赤ちゃんとして生まれきた

ムギの命日は8月28日だった。我が家では毎月28日が特別な日になってしまった。3ヵ月前が近いのか遠いのかよくわからない。

尿検査と血液検査で慢性腎臓病と診断されてから4年の闘病だったが、最初の3年はそれほどの緊迫感はなかった。腎臓病用の療法食(おもにロイヤルカナン)を食べ、フォルテコールと活性炭を飲んでいたら病勢はあまり進まず、だいたいふつうに暮らしていた。3年経ったあたりから血液検査の数値が上がり始め、薬を変えたり、皮下輸液を始めたり、食欲不振解消にフードを変えたり、忙しい日々になっていった。
3年半を過ぎた2021年3月にはクレアチニンと尿素窒素が大幅に上がり、ここからは闘いだった。ゆったり流れていた川が急流となり滝となるようだった。

ふりかえると、ムギは死について教えてくれたような気がする。それは生について教えてくれたといっても同じことだ。
猫も人も、自分では何もできない赤ちゃんとして生まれ、いろんな能力を身につけ、一人前になる。そして最後は身につけたものを一つ一つお返しして、生まれてくる前にいた場所へ帰っていくのだ。

手を打たなくてはいけないかなと考えているうちに、ムギが先に手を打ってしまったことがあった。
真夏のひなたぼっこをやめさせなければいけないかと思っていたら、自分からやめてしまった。
階段を降りるのが危ないから使わせないようにしなければいけないか迷っていたらある日登らなくなった。
毛づくろいや爪とぎはいつのまにかあまりしなくなっていた。
ごはんを食べるのも下手になってカリカリをポロポロこぼした。何度でも手に拾って差し出した。
おしっこもトイレの外にしてしまう。腰の位置が高いまましてしまうからなのだが、筋力が衰えてしゃがむのがきつかったのかもしれない。

いろんなことができなくなるのをムギがどう思っていたかは知るよしもない。でも人間のように嘆くことはなかったのではないか。登れなければれなければ登らないだけ。食べられなければ食べないだけ。淡々として見えた。
晩年、ごはんとトイレだけ起きて、一日の大半を寝てすごしていた時期が、ジャンプしいたずらし走り回っていたときより不幸だったとかつまらなかったとかいうことはないのではなかろうか。
最後の5日間はほとんどごはんを食べなかった。食べ物を近づけると顔をそむけた。元いた場所へ帰るために身体を軽くしているようだった。
ムギは静かに、なにげなく旅立った。

ぼくもいずれできたはずのことができなくなっていくに違いない。それが年をとるということなのだ。この世に生まれてから身につけたものを一つ一つ手放していくとき、何も一人ではできない身で生まれてきたことを思い出し、じたばたせず、淡々と、生まれてくる前にいた場所へ帰る準備をしたいと思う。

ひなたぼっこスポット 21歳の猫ムギのブログ

南東向きの2階の窓。ムギは毎朝ここでひなたぼっこしていた。

こぶしの木【21歳の猫ムギのブログ】

ムギが長いあいだ毎日のように見ていた景色。こぶしの木。夏はびっしり葉をつけ、冬は枝だけになり、春には白い花を咲かせた。

瓦屋根と空【21歳の猫ムギのブログ】

ムギは空も見ただろうか。屋根の上をのら猫さんが通ることもまれにあった。

(by 風木一人)


※当ブログが電子書籍になりました。1巻と2巻、楽天・Amazonで販売中です。

猫が21歳になりました 慢性腎臓病の診断から1400日を生き抜いて

クリックで楽天へ

猫が21歳になりました 風木一人 ホテルの本棚

amazonはこちらから

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・マンガ・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter

 

トップへ戻る