今回は、プレセッショナルコースの先生であるF先生を紹介したいと思います。
第11回目にして、初めてイギリス人の紹介です。
年は恐らく50歳前後でしょうか。本来は旧ソビエトの社会主義について研究をしている先生のようですが、大学が夏休みの間開校されるプレセッショナルコースの先生をされています。
大学の教授というと皆様どんなイメージを持たれるでしょうか?
融通が利かないのが玉に瑕だけれども、真面目で勉強熱心。専門分野の造詣は計り知れないものがある…といったところでしょうか。
そのイメージはもしかすると万国共通かもしれません。少なくとも、F先生はこのイメージにピッタリでした。そして私は、大学時代にお世話になった先生のイメージが、F先生のせいでフラッシュバックしました(苦笑)。
たとえば、アカデミックな論文を書く際には、どのようなソースを引用するかは大切になります。そしてF先生は、引用する際のルールとして、新聞記事は引用可能だが、ブログ等は不可としていました。しかし私はブログでも、ものによっては多少なら引用してもいいのではと思ったので、F先生と少し議論になりました。
勿論、私も誰が書いたかもわからないような文章を引用するつもりはありません。
しかし、例えば、ビジネスの話や法律の話であれば、名前を明らかにしているビジネスマンや弁護士が書いているブログであれば、ある程度なら引用してもいいかなぁとも思っていたのです。
一方で、新聞もアカデミックなソースとして使えるかというと個人的には疑問がありました。特に専門的な話になると、(少なくとも日本の新聞だと)間違いもしばしば見受けられますからね。
もしF先生に、本音としてはブログの中にも価値があるものがあることは認めるが、ルールの建前としてアカデミックな世界ではブログはまだまだ受け入れられていないんだよ、と言ってもらえれば私も納得したと思います。
しかし、残念ながらF先生は前半の本音論のところを飛ばして(あるいは本当にそう思っていないのかもしれませんが)、ルールの建前論のところ(ブログは価値が無いのですべからく引用すべきでない)だけを主張するので、話の終着点が見えなくなってしまうわけです。
このあたりの本音と建前の機微を、国籍を問わずアカデミック一本の教授とかわすのは難しいなぁと改めて思い知らされました。
一方で、日本の先生と違うところもありました。
印象的だったのが、とある日の最後の授業が5分延長された時です。日本の先生の感覚だと、5分くらいの延長は当たりまえだ(もう一歩踏み込めば、5分多めに勉強できるんだから、むしろいいことだろう)、というのが正直な気持ちではないでしょうか。
しかし、F先生の場合は違いました。なんと翌日のクラスの開始時間を5分遅らせるというのです(そして実際、5分遅く開始されました)。このあたり、たとえ相手が生徒であったとしても、他の人の時間について尊重しているんだなぁと思わされました。
また、インターナショナルな生徒の英語力については、基本的に尊重してくれます(これもまた建て前かもしれませんが、苦笑)。従って、例えば私の英語力についても、君の英語力は大変すばらしい、と言ってくれます。日本の先生だと、ここがダメ、そこがダメ、とダメ出しのオンパレードになるのではないでしょうか。その言葉を聞いたとき、努力が認められたように思い、とてもうれしく思いました。弱点の洗い出しも勿論重要ですが、やはり褒めるところは褒めないと人はやる気を失ってしまいますからね。
もっとも、そのあとフィードバックを受けていた友人(個人的には私の英語の方が彼より大分ましだろうと思っていたのですが…)も、同じようなことを言われていて、ずっこけそうになりましたが…(苦笑)。
こちらに来て様々な国の人に出会いましたが、日本人の知り合いにもっとも似ていると感じたのは、このF先生かもしれません。職業柄は国境を超えるのかもしれませんね。