別訳【夢中問答集】第七十三問 仏の眼にはこの世はどう見えているのか?

足利直義:お、和尚さま、落ち着いてください。ヒートアップし過ぎですよ!

悟れていない人が世界を見たときには縁生、つまりみせかけだけのマボロシの姿しか見えないということはよくわかりました。

と、いうことは、仏さま自身はそういったものは見ないのでしょうか?

夢窓国師:仏さまには五つの眼があるとされておる。

  1. 肉眼:人間の持つ通常の眼のことじゃ。これで見た場合は、仏さまでも我らと同じ世界が見える。ただ、見聞知覚に関する一切のこだわりから自由になった人は、この通常の眼のままで世界の全てを見通すことができると言われておる。
  2. 天眼:天上界に住む天人の持つ眼のことじゃ。いわゆる千里眼のことで、遠く離れた場所や山やカベで遮られたものを見ることができる。普通の人間でも修行次第でこの境地に到達できるとされておる。
  3. 慧眼:「あらゆるものごとの本質には実体がない」ことを理解した者が持つ眼のことじゃ。菩薩たちが持っているとされているが、小乗の修行者でもこの境地に達する者がたまにおる。
  4. 法眼:「あらゆるものごとはみせかけだけのマボロシである」ことを理解した者が持つ眼のことじゃ。これは菩薩だけが持つとされておる。

これらの四種の眼は、なんだかんだ言っても結局「縁生」のものしか見ることができない。

そして最後のものは「仏眼」じゃ。

これは仏さまが内に秘めている智慧の一種であって、一般人はもちろんのこと、菩薩たちにも知り得ない境地であるとされておる。

昔の師匠たちは「四つの眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼)や二つの智慧(真実と方便)で見れば世界は森羅万象に満ち溢れて見えるが、仏眼や種智(究極の智慧)で見れば世界は真空状態に見える」と言った。

涅槃経に「小乗の修行者が天眼と呼んでいるものは肉眼の域を出ていない。逆に大乗の修行者の肉眼は仏眼と同等なのだ」と書かれておるのは、つまりこのことで、従って「仏眼は仏さまだけのものであって凡人には関係ない」というのは間違いじゃ。

仏さまはこれら五つの眼を全て持っておるので、通常の眼で我らと同じ世界を見、慧眼で菩薩が見ている世界を見、法眼で「この世界は見せかけだけのマボロシである」ことも見抜いておる。

そしてこれが仏さまの凄いところなのじゃが、我らと同じ肉眼を持つからといってものごとの生滅にとらわれることがなく、菩薩と同じ眼を持つからといって「この世界は見せかけだけのマボロシである」という境地に留まることもない。

つまり、眼を五種類に分けて考えるなどというのは、一般人に対する説明の都合上やっているだけのことなのじゃ。

当の仏さまにとってみれば、迷いや悟り、出家や在家などという区別など存在せず、本質と事物、真理と現象の区別もない。

たとえば金銀と石ころ、水と火などは一般人にとっては全く違うものじゃが、仏さまは金を石に変えたり火を水に変えたりすることなど朝飯前なので、火に入っても熱くなく、水に入っても冷たくなく、金銀が石ころよりも尊いということもなければ、石ころが金銀よりも価値がないということにもならない。

たまに「私は火と水、金と石を区別しませんよ!」などと言うヤツがおるが、ほとんどの場合ただのカンチガイじゃ。

「迷いがあることこそ悟りの境地なのです!」などと言うヤツも、単に仏の智慧を知らないだけと考えてよいじゃろう。


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