別訳【夢中問答集】第七十五問 なぜ人々の学習能力にはバラツキがあるのか? 2/2話

像法決疑経には「如来は、存在しないし、存在しなかったこともない。生まれなかったし、死んだこともない。直接見ることはできないし、見えなくもない。究極の悟りを得てから亡くなるまでの間に、ただ一言の教えも説かなかった。だというのに、世のアホどもは『如来がこの世に生まれ落ち、素晴らしい教えを説いて人々を救った』などと考えている。如来の世界というものは、我らの考えなど遠く及ばないものなのだ。いくら調べても考えても絶対にわかるハズがないのだ」、と書かれておる。

また、「如来の姿はマボロシ、鏡に映ったもの、水に映った月のようなものだ。そして衆生の真の姿もまた知ることができないものだ。どこからも来ないし、どこへも去らない。存在するとは言えないし、存在しないとも言えない。内側にも外側にも存在しない。だというのに、世のアホどもは血迷って『自我というものが存在する』などというカンチガイを振り回し、イヤになるほど何度も何度も生まれ変わっては苦労を重ねている」、とも書かれておるな。

楞伽(りょうが)経には「釈迦は、サルナート(鹿野苑:ろくやおん。釈迦が初めて説法をした場とされる)からヒラニヤヴァティ河(跋提河:ばつだいが。釈迦はこの河のほとりで入滅したとされる)に至るまで、一言も語らなかった」、と書かれておる。

華厳経には「究極の悟りの世界には『仏』もいなければ『衆生』もいない」と書かれておる。
大品般若経の注釈本には「『不二摩訶衍(ふにまかえん)』の境地に立てば、『学習能力のバラツキ』とか『それぞれに対応した教え方』などというものはない」と書かれておる。

摩訶衍というのはマハーヤーナ、つまりサンスクリット語で「大きな乗り物」という意味じゃ。

大・小、真実・方便などという概念が発生する以前の状態が「不二摩訶衍」じゃ。

だというのにそれを信じることができず、方便の教えにばかり気を取られて「大・小、真実・方便の区別」とか「学習能力にはバラツキ」とかについて論じようとする。

あるいは、すっかりわかったような気になって天狗になり、魔道に入る。

またあるいは、「全然わからん! オレには向いてないわ」と思って修行を辞めてしまい、ただもうひたすらに迷いの世界を彷徨い続ける。

……などというのは、あまり賢い人のすることではないよなぁ。


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