足利直義:教祖であるお釈迦様も、そんなやり方をしていたんですかね?
夢窓国師:禅の立場から言わせてもらえば、歴史上実在したブッダであるお釈迦様がその生涯をかけて説いた教えの全ては「召使いへの指示」と同じことじゃ。
ある時は「あらゆる法は実在する」と言い、またある時は「一切の法はみなマボロシだ」と言い、「この世のあるがままの姿が法だ」などと言う。
「仏法は文字言語を離れたものだ」と言ったかと思ったら「文字言語は仏法そのものだ」などと言う。
こういったことは全て、女性が召使いを呼びつけて「障子を開けろ」とか「閉めろ」と言うようなものじゃが、お釈迦様の気持ちがわからん連中は言葉をそのまま真に受けてしまう。
「『障子を開けろ』と言うんだから、それが彼女の本意だろう」とか、「いや、『閉めろ』って言ってるんだから、それが彼女の本意だ!」とか、マジメに議論するようなもんじゃな。
「お釈迦様の言うことがコロコロ変わるのは、『法には決まった形はない』ことを悟っていたからだ」などと言うヤツもおるが、これもまたお釈迦様の気持ちがわかっていないと言わざるを得ん。
これは要するに「『障子を閉めろ』というのは風が吹き込むのを防ぐためだ」とか、『障子を開けろ』というのは換気のためだ」とか理屈をこねているだけなのじゃからな。
まぁ、障子の開け閉めに関する指示をそのまま受け取るヤツよりもマシではあるがの。(苦笑)
こういった連中は、まず、女性の気持ちがわからんヤツらじゃと思って間違いない。
起世経には「火の神が水に入ると水は火となり、水の神が火に入ると火も水となる」と書かれておるが、お釈迦様の教えというのは、つまりそういうものじゃ。
禅の立場から見れば禅以外の宗派も全て禅の話をしているように受け取れるし、その逆もまた然り。
仏法と世間のルールの関係もまた同様で、仏教的悟りを得てしまえば世間的なルールも仏法も効果に違いはないし、その悟りが得られていないうちはどれほど深淵な仏教の教えであっても世間的なルール以上の効果は得られない。
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