最澄の弟子で唐への留学経験もある円仁大師慈覚も、山の上に建てた禅堂で修行に励んだそうじゃ。
また、空海の甥で唐への留学経験があり、後に最澄同様に天台宗のトップを務めた智証大師円珍の著作「教祖同異集」には、「日本における仏教の宗派は八つ。南京の六宗である倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗に北京の二宗である天台宗と真言宗を足したものだ。
舎宗と成実宗は小乗仏教、律宗は大乗でも小乗でもあり、それ以外の五宗はみな大乗仏教だ。
してそこに含まれない禅宗というものがあり、八宗の師匠たちは漏れなく全員伝承を受けている」と書かれておる。
顕教と密教の違いはあれども、伝教大師・弘法大師・円仁大師・智証大師の四人に勝る師匠はおらん。
そんな彼らが「個人的な思いつきの垂れ流し」を学ぶわけなどないとは思わんか?
安然和尚は自筆の「教時諍論」において「比叡山が一番優れている」根拠として「禅宗・真言宗・天台宗の三宗が同居している。こんなところは中国やインドにだってありゃしない」と力説しておる。
かつて聖徳太子が奈良の片岡山で行き倒れている人に対して「旅人よ、貴方にも親があるだろうに、こんなところで飢えて倒れてかわいそうに……」と呼び掛けたところ、行き倒れた人は「いかるがの川の流れが絶えない限り、太子の名前を忘れることはありませんよ」と言い残して亡くなってしまった。
太子は家臣たちに命じ、自らも石を運んでその人の墓を建ててやったのじゃが、家臣たちは後になって口を揃えて「なんであんな得体の知れないヤツの墓を建てさせたのですか!?」とブツブツ文句を言ったとか。
太子がそれを聞いて「じゃあ取り壊してもいいよ」と言ったので、家臣たちが墓石をどかして中の棺を開けてみたところ、なんと死体はなくなって太子がかけてやった衣だけが残されていたそうじゃ。
聖徳太子が禅の大師匠である馬祖和尚の師匠であった南岳和尚の生まれ変わりだった縁で、片岡山に達磨大師が出現していたのだなぁ、と一同恐れ入ったとのことじゃ。
ちなみにその墓は現存するのじゃが、解脱上人がその上に塔を建て、達磨大師と聖徳太子の御影を安置しておる。
聖徳太子の説法明眼論には「かつて南天の師匠は、『生死を超越したいと思うのであれば、ただひとつの根本を極めるべし。その根本とは仏心である』、また『仏法には教内と教外の二種がある』、と教えてくれた』とある。
達磨大師は南天、つまり南インドの香至国の王子じゃったことから南天祖師とも呼ばれておる。
我が国に初めて仏教を広めたのは聖徳太子その人じゃ。
禅宗が「信用ならない」ものならば、聖徳太子がそれほどまでに達磨大師を崇敬するわけがないよなぁ。

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