「大反省文」 第1話(出典:密厳院発露懺悔文)

<まえがき>
弘法大師空海による創建から300年後の平安時代後期、真言宗総本山である高野山は源平争乱に向かう世情の中にあって衰勢覆うべくもなく、僧侶たちは教理探求そっちのけで権力闘争に明け暮れていました。これを憂いた僧侶のひとり覚鑁(=かくばん、後の興教大師、当時42歳ぐらい)は金剛峯寺にある密厳院にこもって3年以上にわたる「無言の行」を敢行し、直後に一気に書き上げたのがこの文章であると伝えられています。

考えてみれば、もはや思い出すこともできないほどの昔から、よくもまぁ、これほどたくさんの悪いことをしてきたものだ。

なぜと問われても返答に困る。強いていうならば「バカだったから」とでもなるか。

悪いことばかり考え、悪いことばかり口にし、悪いことばかり実行してきた。

そういう意味では首尾一貫していたとも言えるのだが・・・(苦笑)

「お前のものはオレのもの、オレのモノはオレのもの!」だと固く信じて疑わなかったから人様にものをあげるなんてことは想像もしたことがなかったし、常に楽な方楽な方へと流れ、決められたルールを守ろうともしなかった。

まぁ、「オレ様がルール」だったのだから当然といえば当然だよな。

少しでも気に入らないことがあればキレまくって大暴れしたし、マジメにやるなんてバカらしいと思っていたから万事サボりまくっていた。

逆に言えば、サボることに関してはマジメだったのかも。(苦笑)

いつも落ち着きがなくて、じっくりとものごとを考えたり、真剣に日常に向き合ったりということもしてこなかった。

つまりは、日々地獄に落ちるための努力を重ねてきたということだ。

やるべきことをやらないで所属している団体の評判を落とし、費用を受け取っておきながら実行に着手せず、各種の取り決めは全部無視してきた。

立派な人が嫌がることばかりやってのけ、たくさんの関係者に迷惑をかけていることにも気づかず、ヘラヘラ笑ってヘラヘラ暮らし、口を開けば他人の悪口やウソばかり言って、無駄に歳だけとってきた。

―――――つづく


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