三:相(悟りの証明):「是故空中無色」~「無意識界」
弥勒菩薩は人間を含む万物に楽しみを与えることを強く願う菩薩であり、大いなるいつくしみの境地を持っている。
そしてこの菩薩は、「行為は必ず相応の結果をもたらす(一見偶然と思えるような現象であっても、その原因となる行為が必ずある)」ことを理論だて、「全ての事象は意識の現れに過ぎず、そしてその「意識」をとらえることはできないので存在しないのと同じである」という唯識思想を打ちたてた。
いったいどういうことか?
それはつまり、「この世界は全て「心」そのもの」だということである。
これをつなげて現代語訳するならば、以下のようなものになる。
自我が存在するという思い込みと自然法則が存在するという思い込みを打ち消すことは容易ではないが、時間さえかければいつの日か必ず真理を体現できる時がくるだろう。
「自我」などといっても所詮は「阿陀那識*」が見せる幻想に過ぎないのだ。
あまたある自然現象もまたそのようなものを通じてしか認識することができないものであるので、あたかも実在するように見えるけれども結局は名のみの幻影なのである。
*「阿陀那(あだな)識」:人間は五感からの刺激を総合的に情報処理している第六の意識層を「自我」だと思いがちだが、意識には実はさらに二階層下がある。
最下層は第八層「阿頼耶(あらや)識」であり、そこからの信号を、思慮分別層である第六意識層に伝えているのが第七層「阿陀那識」である。
この「阿陀那識」は、睡眠時など常識的な思慮分別が失われている状態下でも「自我」を認識し続ける働きを持っている。
―――――つづく