<総集編:漢訳原文対照超訳文>
16回にわたる「般若心経の秘密」から弘法大師空海の訳(解釈)を青字で抜粋し、黒字で記した「般若心経」本文(漢訳原文)と対照させたものを「総集編」として記します。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
「心」に関する真実の悟りの境地について by般若菩薩
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
修行者たちは、超人的な集中力を発揮して、人間を成り立たせている五つの要素(色:物質的要素・受:感受作用・想:表象作用・行:意思作用・識:認識作用)を徹底的に観察した。
そしてそれらはどれも実体をもたないという結論に達することで、あらゆる迷いや悩みを過去のものとしたのだ。
今修行を続けている者どもよ、いずれ諸君らも必ず同じ境地に到ることだろう。
舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受想行識亦復如是。
究極のところ全ては「空」なのだが、それと現象として現れている物質的存在「色」とは決して別々の存在ではない。
現象と理法は同一のものであって、お互い妨げなく融通するものなのだ。
舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
金鉱石はそのままでは価値がわからないが、精錬して金獅子像にしたならば誰でもその価値を理解できることだろう。
また、煩悩は海にたつ荒波のようなものであり、波が静まればまた元の海に戻るのだ。
あらゆる差別・区別は実在しない。
ただ、「空」のみが最高の真理なのだ。
ここから生まれてくる慈悲や救済の働きは実に奥深い。
是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至、無意識界。
自我が存在するという思い込みと自然法則が存在するという思い込みを打ち消すことは容易ではないが、時間さえかければいつの日か必ず真理を体現できる時がくるだろう。
「自我」などといっても所詮は「阿陀那識*」が見せる幻想に過ぎないのだ。
あまたある自然現象もまたそのようなものを通じてしか認識することができないものであるので、あたかも実在するように見えるけれども結局は名のみの幻影なのである。
*「阿陀那(あだな)識」:人間は五感からの刺激を総合的に情報処理している第六の意識層を「自我」だと思いがちだが、意識には実はさらに二階層下がある。
最下層は第八層「阿頼耶(あらや)識」であり、そこからの信号を、思慮分別層である第六意識層に伝えているのが第七層「阿陀那識」である。
この「阿陀那識」は、睡眠時など常識的な思慮分別が失われている状態下でも「自我」を認識し続ける働きを持っている。
無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦集滅道。
風に吹かれて舞い散る木の葉は、ものごとの生起の連鎖を教えてくれる。
生と死の無限にも思える連鎖を見きるには、あとどれだけの年月が必要なのだろうか。
葉の露が蒸発して花が枯れたなら、迷いのタネを取り去ることができる。
「ヒツジが牽引する車」と「シカが牽引する車」は、いずれもセンスのない者を教え導くための方便という意味で同じである。
「無苦集滅道」とはよく言ったものだ。
白骨のどこに「自我」があるというのだろう。また、青くむくんだ死体を見れば「人」という存在など最初からなかったことがわかる。
「身体」は執着するほど美しいものではなく、「感覚」への執着は苦痛をもたらし、「心」はひとつ場所にとどまることなく、思考の主体となる「自我」は存在しない。
これは「四念」と呼ばれる境地であり、上述の「二乗」を極めた者たちが楽しむところである。
無智亦無得。
以無所得故、
蓮の花を見て全ての存在はおのずから清らかであることを知り、蓮の実を見て心にはもとからあらゆる徳が欠けることなく備わっていることを悟る。
主客一体の観自在菩薩の境地の前では声聞・縁覚・菩薩の区別などなく、ただ偉大な仏の教えがあるのみなのだ。
菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
修行者は七、修行の方法は四。
全ての人に「究極の安らぎ」と「悟り」そのものが予め備わっているのだ。
足りないものなど、何もないのである。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
言葉、意味、発生と消滅、不可思議な効能。
これらを生み出すものこそが真言なのである。
故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
真実の言葉の不思議さははかり知れない。
内容を正しくイメージしながら唱えるならば、必ずや諸悪の根源である根本的な無智の闇が取り払われるだろう。
一文字一文字の中に千の意味を含んでおり、わざわざ死んで生まれ変わらずとも、今、この場で究極の悟りを得ることができるのだ。
「ガーテー」は「行く、行け、行った」ことを同時に意味し、まどやかな涅槃の境地への道のりを示し、また、「ガーテー」は「去る、去れ、去った」も意味し、根源的な悟りの境地に向けた旅立ちを示す。
一般ピープルは今この瞬間の生存世界こそが自分の居場所だと思い込みがちだが、この世界などというものは実は長旅の途中でたまたま立ち寄った仮の宿であるに過ぎないのだ。
それでは「本当の居場所」はどこにあるのか?
我ら全てが生まれつき持っている「心」こそ、「本当の居場所」なのである。
漢訳原文
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
受想行識亦復如是。
舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至、無意識界。
無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦集滅道。
無智亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。
故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経