読まない読書・のち・読む ハーラン・エリソン著『死の鳥』
前回、ハーラン・エリスン著『死の鳥』をタイトルのみからどんな内容か読まずに妄想するという試みをした。
(なぜ『死の鳥』のタイトルに惹かれたか、『死の鳥』と私の妄想歴についてはこちらも御覧ください)
そして予告通り、読んでみた。
読んだ後調べたり、教わったりしたところによると、作者ハーラン・エリスンは現在もアメリカSF界に君臨する生けるレジェンド。日本で最も有名な作品は『世界の中心で愛を叫んだけもの』
確かにそのタイトルは知っていたが未読で、調べてみると、アンソロジーを読んだことがあった。内容はうろ覚えなので、うろ覚えで再構築したものと本物が合っているかを確かめるのも面白いかと思った。
だが今回の主役は『死の鳥』だ。私の妄想した小説だが、本物の内容と合っていたところもないわけではない。
*SFである
*短篇である
*かなり大型の鳥(的な何か)が出てくる
以上の3点は予想通りだった。
というわけで、今回はハーラン・エリスン著『死の鳥』を、読んだ上でご紹介します。
「死の鳥」と「生の犬」と「中立の蛇」・とてもSFらしいSF
合っていたところもなくはないと書いたが、要は全然違ったということだ。
おかしいほど全然違った。
やはりどこかしら福永武彦『死の島』の印象に引きずられたのかもしれない、舞台設定はSF的だが、終末世界を文学的に描くものを想像していた。
実際は、もっと本質的にSFらしい作品だった。
「これはテストだ」という文章でこの小説は始まる。
この小説がいくつもの短い章から成っていることも予告され、理解しやすくするためにその順序を入れ替えても構わない、と宣言される。要は現在進行形の物語ではないのだ。
旧約聖書の天地創造の神話にはじまる神と人との物語を解釈しようというテストらしいことがすぐにわかる。
誰が誰に出題したテストかは明かされていないが、その答は物語の核心に近いところにある。
神話の主の物語が始まる。テストされるものがそれを読んでいるというメタフィクションで、随所に「ヒントの章」が挿入され、読み方を方向づける。だが「テストされる者」はともかくとして、そのさらに外側にいる「この小説の読者」ならば、それもまたミスリードかもしれないと疑いながら読むだろう。メタ・メタフィクションなのだ。
アダムとイブの物語は誰が、誰に、何を信じさせようとして書かれたか?という問いが繰り返し現れる。作者自身が書いたという設定らしいエッセイも作中に出てくるが、メタフィクションのどの層に位置しているのか、ちょっと混乱させられる。
タイトルは死の鳥だが
生の犬
中立の蛇
の物語と言ってもいいと思う。何のことやらわからないかと思うが、詳しくは読んでみてほしい。
神話に対するひねくれ方はステレオタイプだけれどそこが肝ではない。「神話の意図」について書く作者の意図は?と考え始めるといくつ重層があるかあるかわからなくなるパズル的な楽しさがある。妄想した内容よりもスケールが大きいのにコンパクトな印象なのは、「構造の面白さ」によっているところが大きく、構造には大きさがないからだろうか?
例えばこういう感じの大きさのあるようなないような重層なのだ:
【「人間の人生も『生まれて死ぬ』という骨組みだけ言葉にすると一行にも満たないけれど、その中にある些細なことが宇宙全史のように壮大に感じられることもある」と人類の生みの親が言った】
人類の生みの親って誰だ?
そんな小説です。面白かった。
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