こんにちは。
私の名前は猫丸です。なぜ猫丸かというと、猫と丸とが好きなのでそういう名前にしたからです。猫は素晴らしいです。「丸」は平面の円よりも3次元の球が好きです。4次元や5次元の球もいいです。
地球に猫という知的生命体を発見してやってきましたので、地球人類の「猫好き」文化にも感銘を受けました。これからも人類が猫類の発展のために貢献することを欲します。それ以外の人類文化には特に興味がなかったのですが、「フィクション」という文化がすばらしいことに後で気がつきました。
地球人類は、「実際に起こったこと」、つまり事実にとても興味があるようです。と同時に「これから起こりそうなこと」にも著しい興味を持ちます。ところが、これから起こりそうなこととは、まだ起こっていないことなので、「事実」ではありません。事実ではないものを虚構といいます。
「これから起こりそうなこと」とはつまり、「虚構」なのに「事実」と似かよっているものです。事実と似ていれば似ているほど地球人の関心を集めることは間違いないはずです。
ところが、一方で事実とはあまり似ていない虚構を好む人類もいるのです。これはとても面白い現象です。
虚構の中でも、ただ面白いがために存在している創作物を特に「フィクション」と呼び、「フィクション」の中には「小説」と分類されるものがあります。文章で事実によく似たものを表すという文化です。小説には、事実を少し改変したと思われるもの、事実と見分けがつかないようなことを書いたものが多いですが、中には事実でないとすぐにわかるものもあります。
ただ、事実と違うと言っても、あまりに違いすぎるものは好まれません。事実の中でも繰り返し起こり、語られ、人類に影響を与えたことがらに、よく似た構造がなくてはいけないのです。
たとえば「目に見えない宇宙人たちが、音声を使わずに、理解のできない言語で通信しながら、遠くの星間空間からもっと遠くの星へ旅をしたけれど、特に何も起こらなかったので一秒も経たずに帰ってきた」などという小説があれば私はたいへん面白いと思いますが、地球人類はそういうものは好きではないのです。
とはいえ、こうしたものを書いたり、読んだりするのは、事実に関心の高い人類としては変種といえるのでしょうか。それとも、事実から遠ざかろうとする傾向を実は多くの人類が隠し持っているのでしょうか。そこが興味深い点です。
空腹だが食べ物がないから食べ物のことを書く、などということであれば事実から離れる方向として推測が容易ですが、空腹で、苦しい病におかされ、死がせまっているというときに、ちいさな船に乗り込みおかしな島を探して海へ冒険にゆく話を書く人類もいます。もしかしたら、満腹で、健康で、楽しくて楽しくてしかたがないというときに、非常に悲しく惨めな話を書く人類もいるのかもしれません。
まだまだ究明の余地がありますが、今後、地球に来てから私が読んだ1万冊あまりの本をもとに、「フィクション」について研究したことなどを書きます。猫やふつうの地球人類や変種の地球人類や宇宙人のみなさんが面白がってくれると光栄です。