つばな『バベルの図書館』と福永武彦『死の島』 描かれなかった物語(3)

この記事は連続ものの3回目です

1回目はこちら つばな『バベルの図書館』と福永武彦『死の島』描かれなかった物語(1)

2回目はこちら つばな『バベルの図書館』と福永武彦『死の島』描かれなかった物語(2)

涼しさ2倍のウロボロス猫丸です

地球人類のあなたの身長が1センチと1キロメートルの間に収まることを私は知っている

こんにちは。地球フィクション研究家、猫型宇宙人の猫丸です。

かの名探偵シャーロック・ホームズは言っている。
「完全に不可能なことを取り除いて最後に残ったものが、どんなにあり得そうにないことでも真実だ」と。

だが現実とは、唯一のあり得る可能性として一意に決まるものだろうか?

本当に?

ただ一つの可能性以外は全部、「フィクション」か?

現実には「幅」がある。事実として認定されるには「証拠」「証言」などがいるが、証拠に映された事実はピンポイントな点ではなく幅のあるものになってしまう。人間の認識に初めから幅があるし、記録があってもまた同じ。カメラのレンズと人間の目は違い、レコーダーの集音域は限られ、宇宙は刻々と膨張している。

「証言」もまた幅を広げる。誰かが「昨日1メートルくらいの魚を釣った」と言った時、事実は1メートルプラスマイナス50センチくらいと受け止められる。「誤差が50センチくらいはあり得る」「マイナスはあってもおそらくプラスはあまりない」などは経験則であり、絶対ではない。それが事実・現実の「幅」というものだ。魚が2ミリだった、500メートルだった、魚ではなく1メートルの長ぐつだった、釣りには行かなかった、などの場合は「嘘」と扱われるが、魚が70センチくらいであれば「多少の誇張・勘違い」であって事実の範囲内である。

ここで上記の妙なサブタイトルだ。私は、これを読んでいるあなたが生きた地球人類であるならば、あなたの身長が1センチと1キロメートルの間に収まることを、地球での経験と知識から断言できる。随分大きいが幅のある「事実」を私は認識している。

つまりホームズへの私の答はこうだ。「真実というただ一つの可能性が厳密な『点』を指すならそれはおかしい。だが幅のあるカタマリを指すなら、そうかもしれない」

では、事実の「幅」が動ける方向と量はどう決まるものだろう。1メートルの魚と言って実際には99.99センチの魚だったらそれは事実を正確に述べたとみなされるだろう。魚に関する「長さ」という方向において「0.01センチ」の量は非常に小さい誤差ということだ。多分反対する人はいない。では、1メートルのタコだったら?釣ってはいないが1メートルの魚を食べたのなら?1メートルの魚に自分が釣られた場合は?

いったい「あり得たかもしれない可能性」は、どういう方向に、どれくらいの範囲に収まれば、「現実」「事実」と近しいものになるのだろう。

フィクション作品においては、それが作者とフィクション、地球人類とフィクションとの距離感として表れるところが実に興味深く研究のしがいがある。

「幅」の方向も大きさも様々で難しい問題だが、例えば私が今書いているこの文章においては、冒頭にその発言を引いた「シャーロック・ホームズ」がそもそもフィクション界の住人であることなどに、私自身と地球フィクションとの距離感が表れるのだ。

福永武彦『死の島』への距離

さて、前々回前回と壮大な脱線を経て話は福永武彦『死の島』に戻る。

『死の島』は、「相馬鼎は夢を見た」という文で始まる。

続けて主人公・相馬鼎(そうま・かなえ)の見た夢が描写される。「死」「焦土」を思わせる、非現実的だが生々しい夢だ。

本作が発表されたのは1971年。作品の舞台となっているのは昭和28年から29年(1953年〜1954年)にかけての東京だ。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのが1956年、その時も「まだ戦後じゃないか」という反発があったと聞くので、1954年といえば「まだまだまだまだ戦後」だったのだろうか。

相馬鼎は北海道出身の若い編集者で、密かに長編小説を書いている。現実に影響を与えるような、もっと言えば現実を救うような小説を書こうという野心を持っている。相馬鼎と、彼がとある展覧会で強い印象を受けた『島』という絵の作者である、画家の萌木素子(もえぎ・もとこ)、萌木素子の友人で同居人(居候?)の相見綾子(あいみ・あやこ)が主な登場人物である。

相馬鼎は二人の女性に心惹かれており、二人も相馬鼎を憎からず思っているのだが、一人の男性を挟んでの二人の女性の均衡という図式より話は少し複雑だ。三人がそれぞれに他の二人に愛情を持っている。ならばいつまでも三人で幸せに暮らせばいいではないかと言いたくもなるが、そうはいかない。世間がそうは許さないなどの外的要因以前に、たった一人に向けた排他的な愛情こそが良いものだという信仰の強さでは、三人とも一致しているのだ。

問題はそれだけではない。三種類の関係の中で「萌木素子ー相見綾子」の二人の結びつきが最も強そうなのだが、では相馬鼎さえいなければこの二人が平和に幸福にやっていけたかというと、それも違う。萌木素子は被爆者である。故郷の広島で多くの大切なものを失い、健康を害し、「地獄を見た」人物で、虚無と死とに囚われている。相見綾子の中に自分と正反対のものと同質のものを同時に見出し惹かれているが、そこには生き生きと幸福を享受できるはずの相手を死と虚無の世界に巻き込む罪悪感もあり踏み込めずにいる。相見綾子の方は死に囚われた萌木素子に対しどうすることもできず、自分が彼女の負担になっているのではという遠慮が常にある。そこにたまたま投げ込まれた石のように、無邪気な相馬鼎が入ってくることで均衡が破れ、希望と絶望を両極とする振り幅もより大きくなり、二人の関係が動き出す。

冒頭近くで「萌木素子と相見綾子が広島で自殺を図り危篤である」という電報での知らせを受け、相馬鼎は慌てて広島へ赴く。二人と知り合って一年弱が経った頃という設定だ。連絡を受け、二人とも助かって欲しいと祈りながら広島に着くまでのほぼ一日が作品の軸である。昭和29年当時、携帯電話はもちろんなく、固定電話もそう普及してはいない。新幹線はまだないので、東京から広島まで16時間を要する。緊急連絡がある時は途中駅を通じて電報を届けてもらう手配をする。そういう時代を、作者・福永武彦は約20年後から振り返って書いている。

凝りに凝った造りの小説で、いくつもの断章からなっている。三人称視点で相馬鼎の行動や心理を追う章、萌木素子の独白(と、そこに挿入される原爆投下直後の広島の回想)、相馬鼎が執筆中の小説(萌木素子と相見綾子がモデルとなっており、「M子」「A子」として登場する)、三人に少しずつ関わりのある「或る男」による一人称の語り。これらが時系列もバラバラに組み合わされて並んでいる。

相馬鼎の小説もまたいくつかの視点で書かれた断章からなり、それらを組み合わせることで現実が浮かび上がる構想を持つという複雑な入れ子構造だ。

では、相馬鼎作の小説という(作中での)フィクションも含めて断章を組み合わせ、(作中での)確かな現実が最後にそこに浮かび上がるのか?と思わせて、驚くことに結末、「描かれなかった物語」が浮かび上がる。詳しく書くと核心に触れてしまう。ここでネタバレして面白さを失う作品ではまったくないが、中にはそんなことは知らずに読みたい人もいるかと思うのでこの辺で控えることにする。ぜひ、実際に読んでみてほしいものだ。

時系列を入れ替えた断章というのは、映画などでは見たことのある、比較的よくある手法かもしれないが、発表年代(1971年)、そして結末のあり方も考えると相当に実験的な作品だ。

相馬鼎にとっての「現実」とは何なのかということが、作者にとって「フィクション」とは「小説」とは何かという問いと表裏一体となって表れる。本作『死の島』は福永武彦の代表作とされ、ファンの中でも一番好きな作品に挙げる人が多いようだ。しかし私が福永作品を読み始めた頃にはすでに絶版になっており、初めは図書館で、次に古本を探した記憶がある。

こんなにむやみやたらに面白いフィクションが「売れない」とされる辺境の星などさっさと引き上げて宇宙に帰ろうかと何度思ったか知れないのに、地球には猫がいるので思いとどまったわけだが、現在では『死の島』をはじめ福永武彦作品が何作も復刊され、多数のタイトルが電子書籍化もされているのだから嬉しい。しかも、直接に影響を与えてか、偶然に偶然を重ねる迂遠な方法でかはわからないが、つばなという作家と『バベルの図書館』という作品を産み出す流れを何かしら作ったのならば、猫のおかげで地球に留まり思いがけず面白いものに出会えたことになる。

次回はつばな『バベルの図書館』などマンガ三昧!

いよいよ次回はつばな『バベルの図書館』について書きたい。

第1回の時に「5巻まで読んだ」と書いた『第七女子会彷徨』も実はあれから全部読んでしまい、非常に面白かった。

こちらのことも書きたいが、脱線が何十年にも渡るとさすがに大変だしどうなることか。宇宙人なりに張り切って書くので次回も読んでもらえるととても嬉しいです。


ちなみに、福永武彦作品の中で、絶版に次ぐ絶版の時代を生き延び、継続して若い読者の支持を得てきたもう一つの「代表作」がこちら『草の花』

文庫本で気軽に購入でき、『死の島』よりもだいぶ短いのでちょっと福永武彦作品を読んでみたい人にはおすすめだ。

『廃市』は大林宣彦監督・小林聡美主演で映画化もされている。映画といえば福永武彦は『モスラ』(初代)の原作者の一人でもある。


猫丸の地球虚構研究、いかがでしたでしょうか。

次回もどうぞお楽しみに。

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