猫丸先輩に敬意を表して
私は「猫丸」と名乗ってホテル暴風雨に滞在したり、ホテルの臨時宇宙顧問に就任したり、猫を観察したり、地球人によるフィクションの研究をしたり、しているわけだが、なぜ「猫丸」かというと、「猫」と「丸」が好きだからである。
「猫」はこれが理由で地球にいるようなものであるし、「丸」は、平面に描いた円もよければ三次元の球もよい、もっと多次元の球もまたよし、という「丸」愛好家であるから、これほど私にふさわしい名前もないだろうと思うのだが、地球には、いるのだ。
私より前から「猫丸」を名乗る人が。
よって虚構研究の結果を発表するにあたり、一度はこの猫丸氏について書かねばならないと考えていた。
猫丸と名乗ることの先輩であるから、地球流には私は「猫丸先輩」と呼ばねばならない立場だが、不思議なことにこのもうひとりの「猫丸」という人は、私以外からも「猫丸先輩」と呼ばれている。
それが、倉知淳著『日曜の夜は出たくない』『幻獣遁走曲』『猫丸先輩の推測』『猫丸先輩の空論』などに登場する、「猫丸先輩」なのである。
(↑電子書籍も紙の文庫もあります)
(↑電子書籍版「猫丸先輩シリーズ」はこちら)
講談社ノベルズ版の上記二作は長く在庫切れ重版未定となっていたが、現在、電子書籍化されている。
また、紙書籍では、『猫丸先輩の推測』が、創元推理文庫より『夜届く(猫丸先輩の推測)』と改題されて復刊されている。
(↑紙書籍版「猫丸先輩シリーズ」はこちら)
なぜ猫丸「先輩」か
さて、なぜ猫丸を後から名乗った私以外からもこの人が「先輩」と呼ばれるかというと、猫丸の学生時代の「後輩」の視点から物語が語られる(ケースが多い)からだ。
この「猫丸先輩シリーズ」は、推理小説で、猫丸先輩は探偵役である。「猫丸」はあだ名ではなく苗字だ。
連作短編であり(『過ぎ行く風はみどり色』は長編)、謎に巻き込まれてその中心にいる人物の視点で物語は主に進行する。
推理小説というと、私が「猫先輩」として敬愛するエドガー・アラン・ポーを始祖とする犯罪小説をおおむね指すが、「猫丸先輩」シリーズにおいては、犯罪らしい犯罪は起こらない。
「日常の謎」系、などとジャンル分けされるところの、日常に起こるちょっとした不可解な出来事、放っておいても非常に困るわけではないが、指に刺さった棘のように気になって仕方がない謎が登場する小説で、この世界の名探偵こそが、「猫丸先輩」なのだ。
日常に保護色となって埋もれそうな謎を解くのは、警戒色の名探偵
推理小説には謎がつきもので、謎にもそれぞれ個性がある。「日常の謎」系と呼ばれる小説に登場する謎は、日常に埋没しかけたところを探偵に見出されるのだから、大抵は地味な謎である。だからかどうかはわからないが、探偵役もどちらかというと、物静かで、淡々としていて、騒ぎを好まない穏やかな性格の人物がつとめることが多いようだ。
だが「猫丸先輩」は違う。
まず、外見から非常に特徴的だ。小柄で童顔、丸顔でどことなく猫のよう。
いい年をして定職につかず、何をやっているのかよくわからない。本人はそれを気にした様子はまったくなく、楽しそうに好きなことをやっている。
そして可愛らしいのは見た目だけ、平和と静寂と常識を好まず、我が道を行って周囲を振り回し、翻弄する傍迷惑な人物で、特に「後輩」はしばしばかなりひどい目にあわされる。
「日常の謎」で読ませるという行為は、一見地味でありながら、綿密に描かれた設計図と精緻な筆力を要するいぶし銀の職人芸のように目されている感がある。
しかし翻って「猫丸先輩」だ。
いや、決して筆力を否定するのではない。謎がいっそうどうでもよくなるほど、探偵がおかしいと言いたい。
かといって、「猫丸先輩」のキャラクターの面白さだけで読ませる小説かというと、それは違う。そこに、いぶし銀ではなく、警戒色の筆の秘密がある。
地味な舞台に地味な謎、間に立つのが名探偵
あくまでも物語の中心は「謎」であり、猫丸先輩は中心をやや外れたところで目立ちすぎる煙幕をはるような存在だ。日常の謎を解いて見せた後、これは一つの解釈・推論であり、それが事実かどうかはわからない、と、せっかくの名推理を放り出すように去ってゆくのである。
推理小説のジャンルに「本格推理」というものもある。色々な解釈はあろうが、謎の手がかりが物語の中に示され、論理のみで謎が一意に解ける仕組みを持つものがこう呼ばれがちだ。「論理」の魅力を見せる小説、と言ってもいい。
よってこの「推論でしかない」とあらかじめ断っているような猫丸先輩シリーズは、本格推理ではないのかもしれない。だが、いわゆる本格推理よりも本格推理らしいところがある。
それは現実世界での「論理」の性質や魅力を描いている点である。
複雑な現象の中からエッセンシャルなものを抽出し、そこに法則性や道筋を見出すというのが、今も現実界で日々発揮される「論理」の魅力だろう。
この複雑な世界において、「限られた手がかりだけを見て、論理のみで謎が一意に解ける」犯罪はなかなか存在が難しい。よって、山荘に滞在したら嵐や吹雪が起きたり、変わり者の大金持ちの建てた変てこりんな屋敷に閉じ込められたり、無人島から出られなくなったりという、不自然の上に不自然と書きなぞったような心躍る舞台を用意し、あらかじめ「謎」の動き回れる自由を制限してしまうという作品も多い。私も大好きだ。
しかし日常と地続きの世界では、謎は本来もっと自由に歩き回るはずだ。その自由な足跡を全部書くことは不可能だから、「限られた手がかりで一意に解ける謎」を描けば、それは謎の居場所を不自然に窮屈そうに見せるし、「論理」もあらかじめ用意された箱を暴く役割となってしまう。謎と論理とが、噛み合わせようとする仕掛けゆえにかえって齟齬を起こしてしまう。
一方、謎の解として、いくつかの可能性の中からもっとも説得力のある(かつ読者にとっては魅力的で意外な)ものを鮮やか提示する猫丸先輩の世界は、謎のありようが「論理」とよく馴染む。描かれる世界が論理的というのでも特別にリアルだというわけでもない。あくまでも「謎」と「論理」が喧嘩しない仕掛けが巧みだということだ。
地味な日常と地味な人物が登場する。そこに地味な謎が展開される。そのままでは、その二つを繋ぐ糸は無数にあり、どの糸もどうでもいい、地味なものであろうという気しかしない。
しかしそこに派手で傍迷惑な探偵が現れ、断言はしないものの、もっとも太い糸はこれじゃないかと言ってみせる。よく見ればなかなかに魅力的な糸であり、言われてみれば、他の無数の地味な糸よりも、ちゃんと本物らしくも見える。そして読者は、本来複雑な事象の中からエッセンシャルなものを抽出し、組み立て直すという「論理」の魅力的な一面を一瞬、鮮やかに見るのだ。
リアルなものとフィクショナルなもの、地味なものと派手なものを、「論理」の居場所を確保しつつ、不自然さを感じさせずサンドイッチのパンと具のように混在させる。そこに「嵐の山荘」のような仕掛けを用いず、「おかしな探偵」を用いるところが変種であるが、本格推理らしい推理小説のように私は思う。
さすが猫丸の先輩なのだ。
猫丸先輩、緑色の球体になる
さて、「猫丸先輩」シリーズ最新作を収録した新刊がもうすぐ出版されるらしい。嬉しいことである。
それがこちら、タイトルだけで魅力的な『豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ事件』だ。
収録作で猫丸先輩シリーズ最新作の『猫丸先輩の出張』、実はwebに掲載された際、前半だけを読んでいるのだが、なんと猫丸先輩が緑色の球体に変身する。上部に猫の耳のような三角形が付いているが、ひび割れた砂漠の地面のような不気味な球体で、先輩は「プロの着ぐるみ」になって変身したらしいのだ。何のことだかわからなかろうが私もわからない。
とにかく大変だ。緑色の球体とあってはまったくひとごととは思えない。
読むのがとても楽しみだ。
(↑こちらは猫丸先輩シリーズ唯一の長編。現在やや入手困難)
「猫丸の虚構研究」いかがでしたでしょうか。
猫型宇宙人・猫丸のホテル暴風雨での滞在ぶりは、ぜひこちらのマンガもご覧ください。
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次回もどうぞお楽しみに。