青井夏海 『スタジアム虹の事件簿』 飾りじゃないのよ野球は(1)

私のはもちろん飾りです

野球と私〜それは虹のようにはかないご縁

こんにちは。猫型宇宙人の猫丸です。
突然だが、皆さんは野球というものをご存知か。
私は既に何度も書いたが「丸」が大好き、「球」も大好きなので、「野球」と聞いて心がときめいた。それはきっと、人里近くに住みながら人には慣れず、野性味あふれる、どこにも所属しない「球」だろう。見てみたい。ぜひ見てみたい。

しかし違った。野球とはスポーツの名前なのだ。スポーツとは、地球人類が自分の身体やら道具やらを使って、一定のルールに則って競うゲームのことだ。ゆえに野生に生きる球ではない。フィクションでもない。がっかりだ。

と、一度は思ったが、「球」を使うスポーツだとのこと、野球について少し勉強することにした。手はじめに、野球初心者や幼年者にまで渡って地球人に広く支持されるという映像資料を参考にしたのだが、これが難しいったらありゃしないのだ。
野球とは、人間が投げた球を、別の人間がバットという棍棒みたいなもので打つスポーツだ。その訓練は、ひたすら長距離をぴょんぴょん跳んだり、挟まれたら痛そうな器具を身につけたり、鎖で繋いだ鉄のボールを打ったりと過酷なもの。しかも、投げる人と打つ人は、炎をドロドロと背負い、長大な独白をテレパシーで送り合いながら勝負をする。投げた球はくねくね曲がったり消えたりする。なんだかもうわからない。『巨人の星』というとてもおもしろい映像資料だったが、何度見ても野球に精通するには至らなかった。

野球の試合を見物もしてみた。投げられた球が「ストライク」で、なおかつ打つことができないと、投げた人の利になる。そこまでは知っていたので目を皿にして見ていたが、ストライクかどうかわかりはしないのだ。調べると、「ストライクゾーン」とは、「打者の肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、膝頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間」だそうだ。では、ズボンを下げてはき、膝の位置が高く見えるよう工作したらストライクゾーンが狭まるではないか。それでいいのか。いや、いいとしてもそんなの見えない。だから審判がいるのだろうが、言ってることがわからない。わかったとしても、周囲の人が大声で歌を歌ったり叫んだりしているので聞こえない。得点が表示される板を注視して、そのうち「S」と書かれたところにランプがつけば、ストライクだったことはわかる。だがせっかく本物の試合を見ているのに、板を注視して遅れて状況を知るとはこれいかに、一体これは面白いのか。地球人はこの過酷な状況で試合の状況を理解しつつ歌を歌うのか。なぜそんなことができるのか。

ダメである。まるで見込みがない。かくして私は野球を理解することを諦めた。

野球音痴の星『スタジアム虹の事件簿』

前置きが長くなった。
この野球というスポーツ、フィクションの世界でもたいそう人気がある。私の参考にした映像資料『巨人の星』はもともと漫画だそうだが、フィクション漫画界には他にも、野球を題材にしたものが山のようにある。映画や小説にも「野球もの」は数多く、推理小説となると少ないかと思いきや、これが案外あるのだ。
フィクションの研究にあたり、面白い推理小説とあっては読まずにはいられないが、野球がわからないがゆえに躊躇する。
わざわざ野球のことを書くのだ。「ストライクゾーン」ごときにモヤモヤしている者が読んで面白いはずがあろうか。もちろんそれでも面白いものもある。だが、野球がただの背景や小道具的な飾りではなく、本筋や主題に深く関わっている方がフィクションとして優れているのではないかと私には思われる。それだけに、優れたものほど、野球がわかればもっと面白かろうと思えて残念だ。

ところが、あったのだ。野球が本筋や主題に深く関わっているにもかかわらず、いや、だからこそ、野球のまったくわからない者が読んでもすこぶる面白い推理小説が。それが青井夏海著『スタジアム虹の事件簿』である。
ちなみに表紙の絵を描いたのはBFUギャラリーにも登場したムラタユキトシさんだ。

(↑電子書籍で読めます。紙の文庫版、求む復刊!)

この小説は、とあるプロ野球球団のオーナーが探偵役の推理小説である。チームの名は東海レインボーズ、パ・リーグことパラダイス・リーグ万年最下位だが、魅力あるプレーで少数ながら熱心なファンを持つ。オーナーの名は虹森多佳子。
亡くなった夫からオーナーの地位を引き継いだばかりらしいこの人は、いつも丈の長い優雅なドレス姿、身のこなしも言葉も極めて上品、フィクションの中の「浮世」からさえだいぶ離れて見える人物だ。その上、野球のことをまったく知らない。
しかしオーナーたる者それではいけないと、毎日のように球場に通い、野球の研究をしているのだ。

読み進めるにつれ、この多佳子さんが決して常時現実から浮き上がった世間知らずではなく、人やものを鋭い観察眼で見ており、その観察の視点がぶれないからこそ余計浮世離れして見えるとわかってくる。
そしてこちらはイメージ通り、足を使って捜査するのではなく、人に聞いた話や、目にしたちょっとした事柄だけで事件を解決してしまう安楽椅子探偵タイプ。名探偵が皆を集めて「さて」と言う、解決の場はいつも野球場だ。

つまり読者は、頭は切れるが野球を絶望的にわかっていない主人公と一緒に、野球について知りながら、同時に不可解な謎に遭遇する。そして探偵がそれを鮮やかに解決するさまを堪能できるというわけだ。
「そこに野球は必要なのか?」と思う人も多かろう。
これが絶対に必要なのだ。
野球には独特のルールがあり、ルールと状況を鑑み、勝つ確率を最大化する戦略とチームワークが必要なようだ。だが選手も人間だ。戦略通りに行かないこともあれば、プロといえども、当たり前すぎるルールをうっかり忘れてのミスも時にはある。勝ち負けとは関係なく、ファンが「見たい」と願う場面もある。
そうした複雑な野球の世界を、オーナーにして名探偵、多佳子さんが覚えて行く。その脳内に「野球」という地図が描かれる際、外せない重要なポイントが必ず作中に描写される。そしてこのポイントの押さえ方、地図の描き方の構造が、後に謎解決の鍵にもなるという仕掛けになっている。
たとえば、野球における「フェール」というものをご存知だろうか。「ファウル」ではなく「フェール」だ。私はまったく知らなかった。第一話の中で多佳子さんが正にこの「フェール」について初めて知り、それが目の前で進行する事件の解決に関わる。あとは是非、読んでみてほしい。

何がわからないかわかってもらえる喜び

第一話に印象的なセリフがある。
初めて見た野球は他のどの球技とも違っていた、と話し始めて多佳子さんいわく、

「たとえばバスケットなら、カゴに球を入れれば得点です。バレーボールやテニスなら、敵の陣地に球を打ち込めば得点ーーまあ、さしあたりそのように理解しておけば、一応観戦を楽しめますわね。でも、野球は違います。野球は球を使って点を取るのではありません。反対に、球をなるべく遠くへ飛ばしておいて、その隙に人間が走って点を奪うゲームだったのです」(青井夏海著『スタジアム虹の事件簿』創元推理文庫より)

おお、そうだったのか!確かにそうだ!!と私は膝を打った。野球がさっぱりわからない人ならばこの気持ちがわかるかもしれない。逆によくわかっている人には何を今さら、だろうか。私はきっと、地球名物「木を見て森を見ず」スピリットを発揮しすぎ、球で点を取るスポーツと勘違いすればこそ、「ストライクゾーン」あたりに気を取られて敗退したのではなかったか。それは野球の仕掛けた罠ではなかったか。難事件を解く名探偵は、野球の謎を解いてくれる名探偵でもあるのだ。
それにしても間違いなく野球ファンであろう作者は、なぜこれほど、絶望的野球音痴の気持ちと、驚きを感じるツボとがわかるのだろう。野球愛と野球音痴への想像力を同時に持つとは恐るべしだ。

この作品は連作短編だが、全体を通して進む大きなストーリーもある。それが万年最下位のレインボーズが好成績を上げ、優勝も夢ではなくなってくるプロセス。同時に、「実質飾りのようなオーナーの椅子に安座し、裕福な生活を享受する、のんきな立場」に見られがちな多佳子さんだが決してそうでなく、孤独に戦っていること、その相手もわかってくる。レインボーズをめぐる思惑、応援するファンの思い、なども織り交ぜて物語は進む。
スポーツは人間が現実界で行うから面白いのかと思いきや、フィクションの中にも輝く場所があるようだ。フィクションであればこそ、作者の「野球観」が凝縮されたチーム、試合、選手が存在できる。それが面白くなるか、現実味がなさすぎるとされるかは、作者だけでなく読者にも依存する。

私にも薄々わかってきたが、現実の野球では、鉄球を打って訓練したり、炎を背負って長大な独白をテレパシーで送ったりはしないのだ。だが、そんなこともできるからフィクションは面白い。

『スタジアム虹の事件簿』は『巨人の星』とはまったく違った意味でフィクションらしいフィクションだ。架空の球団、所属するのは、朱村、黒沢、紫水、など名前に色名の入った架空の選手たち。星飛雄馬のごとき超人ではないが、それぞれ個性的なキャラクターとプレースタイルを持つ。彼らが本拠地とする架空の市、見縞市と、そこに住む、ごく普通の人々。そしてこの世界の中でもひときわ異彩を放つ架空のオーナー、虹森多佳子を、絶妙な距離感とユーモアで描く、フィクション界の虹。野球がまったくわからなくても、わからないからこその楽しみ方ができる。もちろん野球好きの人ならばなお面白いところも多いと思われる(私には判断できないが)。
読むと野球に興味がわくものの、その後結局、あまり野球がわかるようにはなっていないのだが、野球理解の階段を一歩登った時には、その度読み返したい。その時にしかできない楽しみ方が、段階ごとに存在しそうだ。

創元推理文庫版の巻末には新保博久氏による解説がある。この作品は、最初自費出版された後、編集者の目にとまり商業出版されるという変わった経緯を持つ。そうした経緯をたどるにあたり、作品の魅力を各所で伝えることで多大な貢献をしたらしい新保氏だが、けっこうな野球音痴でありながら、野球フィクションや野球ミステリは好きだということだ。つまり本作はプロの野球音痴……ではなく、野球音痴なプロのミステリ評論家の認定作。やはり作者の野球愛と野球音痴への想像力、二律背反の双方が飛び抜けているのに違いない。

次は同じ作者の最新作にして久々の「野球もの」である『あかつき球団事務所へようこそ』について書きたい。→飾りじゃないのよ野球は(2)はこちらです


「猫丸の虚構研究」いかがでしたでしょうか。

猫型宇宙人・猫丸のホテル暴風雨での滞在ぶりは、ぜひこちらのマンガもご覧ください。

ふしぎなホテル、「ホテル暴風雨」で日々起こるできごとを、絵とマンガでお伝えします

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