成冨社長インタビュー第3回は、少し時間をさかのぼり、社長になるまでのお話です。高校を卒業し、最難関、東京藝術大学に現役で合格した成冨さんは、そこで自分の才能に疑問を持ったといいます。深い悩みの中からどう自分の道を見つけ出していったかをうかがいました。
社長になる前のこと
「大学行ってすぐ、自分が才能ないことに気づいてしまったんです。
藝大(東京藝術大学)の工芸科です。2浪3浪当り前の世界で運よく現役で受かって、ちょっとはやれるかと思ったら全然ダメだった。
勉強はしたし学科の成績はよかったんですよ。でも作品が作れない。技術じゃないんです。描かずにいられない溢れ出すようなものがなかった。
悩みましたよ。学校行けないくらい落ち込んで。
絵から逃げるように音楽に打ち込みました。ドラムと歌。でもそっちはそっちですごい人がいます。英才教育受けてきた人たちにかなわない。それで絵に戻って。行ったり来たりの学生時代でした」
「藝大は、たったひとり天才が出ればよくて、あとは肥しという世界です。
芸術家になるための大学に行ったのになれない人はどうするか。
ひとつには教える仕事があります。女性には多い。
男性でしかもプライドの高い人は自分探しの旅に出たりします。戻ってくればいいけど、そのまま行方不明になったりする。
とにかく自分の才能と折り合いをつけなければいけないから、毎日すごく考えましたよ。
あのころは才能という一つのものがあると思っていたんですね。
今になればわかるけれど、本当は複数の要素があって、どんな組合せを持っているかでできることが違ってくるんです。
普通のものしか作れないと悩んだ私は、実は普通のものを作る才能があったということに後で気がつきました。
先端を行くことだけに価値を置く大学では気がつけなかった」
「学生のうちからCMの絵コンテやイラストのバイトをしていました。そこでわかったことがあります。オーダーに応えるのは得意だということ。手順を呑みこむのは早かったし、途中でやめない粘りもあった。大丈夫だ、自分にはできることがある、と思いました。
卒業後ゲーム会社に勤めましたが、同時にデザイン・イラスト・アニメーションの仕事を個人としても受けていました。
ちょうどパソコンとインターネットが普及していく時代で、これが私にとってはすごく大きかったです。ばらついてたものがまとまったんです。パソコン一つで絵も音楽もデザインもできるから。まさに魔法の箱でした。
一人でできることが一気に増えて、個人で受ける仕事も一気に増えて、とても会社員と両立できないから独立しました。25歳のときです。
翌年アニメの大きな仕事がきて、いよいよ一人では受けきれないし、税金のことを考えても会社にした方が明らかにいい。それで法人化したんです。
2002年、音楽系の友人と二人で始めました。今も一緒にやっています。
性格が全然違うんですよ。私はどんぶりで、向うは手堅い。私はすぐ「これやるぞ!」って言うけれど、向うはいつも慎重で怖がり。
ちょうどいいんでしょうね。大発展はしないけれど安定します。健全経営です」
成冨社長インタビュー、10月24日(月)更新の第4回では、会社の業務内容、経営理念についてうかがいます。お楽しみに!
成冨ミヲリ(なりとみみをり)
東京藝術大学美術学部工芸科卒 (染織専攻)。アートディレクター・プランナー・実業家。
ゲーム会社、コンテンツ制作会社を経て、有限会社トライトーンを設立。富士急ハイランドや商業施設の企画デザイン、集英社のCMやドキュメンタリーTV番組におけるCG制作、アニメDVDの監督など幅広く活動。その他、デッサン技法書の執筆、音楽・小説などの制作もしている。「絵はすぐに上手くならない」(彩流社)を2015年に上梓。3万部を超えるヒットとなる。 トライトーン ホームページ