「般若心経の秘密」 第4話(出典:般若心経秘鍵)

「是故空中無色受想行識」云々のパートでは「全ての事象は意識の現れに過ぎず、そしてその「意識」をとらえることはできないので存在しないのと同じである」という唯識思想を紹介している。この思想を打ちたてた弥勒菩薩は手を打ってヤンヤの喝采だ。

「無智亦無得、以無所得故」云々のパートでは「智慧(内面、つまり主観)も境地(外面、つまり外部環境)も実在しない」ことを説く。あらゆる教えはつまるところただひとつであるということであり、冒頭で「観自在菩薩」と呼ばれた諸々の宗派の修行者たちが抱きがちな「この道を行って本当に大丈夫なのか?」という不安をスッキリと打ち消す。

「無無明亦無無明尽、乃至無老死亦無老死尽」とはつまり「無始の煩悩=無明」から「老死」に至る十二の因縁の連環を説いているのだが、十二因縁といえばブッダがたったひとりで瞑想して究極の悟りを得た際の理論の根幹である。つまり人間は自力で悟ることができることを示しているのだ。

一方、自力では悟れない連中に対しては「苦」や「空」を説明することで悟りに至る道筋を示すため、「苦・集・滅・道」の四諦の教えを述べている。

オレが今さら言うまでもないことだが、末尾の真言「羯諦(ギャテイ)」の二文字は諸々の宗派の修行の「成果」を意味し、「波羅僧(ハラソウ)」はいわゆる顕教とオレが日本に持ち込んだ密教の教えを両方含んでいたりする。

これら一字一句を詳細に解説しようとしたならば、歴代の仏たちが無限に近い時間をかけたところでとてもおぼつかない。これら一字一句に込められた名と意味は、無数に存在する仏たちが総出でかかってもとても極められるものではないのだ。

まぁ、そういうわけだから、このお経をしっかりと読んで内容を理解して記憶して人に伝えてゆくならば、ありとあらゆるものの苦しみを除いて楽しみを与えることができるだろうし、その意味をさらに研究しながら行動に移していくならば、悟りを得られることはもちろん、神通力すらも得ることができるだろう。

このお経「般若心経」が、その内容の深さにおいて讃えられているのは、実にもっともなことなのだ。

―――――つづく