足利直義:曲がってしまったものをぐいっと押せばまっすぐに戻るように、出来の悪い連中の曲がった根性もグリグリ押しまくってまっすぐにすれば「仏の心」になるのではないかと思うのですが、それを「『いつわりの心』はふたつ目の月と同じだ」とか言って否定するのは何故でしょうか?
曲がったものを直すために圧力をかけるのを禁止するというのでは、アホはいつまでたってもアホのままで、仏になることなど到底不可能だと思うのですが……
夢窓国師:かつて、普賢菩薩が今のオマエと同じ疑問を持ったと円覚経に書かれておる。
首楞厳経(しゅりょうごんきょう)の中では仏弟子アーナンダが同じ疑問を持っておる。
その時のブッダとアーナンダの会話は次のようなものじゃ。
ブッダ:「オマエが心だと考えているものは知覚して考慮・分別するハタラキに過ぎない。オマエは真の心を見失っているのだ!」
アーナンダ:「しかし、そのハタラキの優劣によって輪廻転生の結果が変わります。だから、仏になるためにそのハタラキを使わないわけにはいきません。なのにそれが間違いなのだとしたならば、私はいったい何をもって修行したらよいのでしょうか?
この『心』がなければ私の存在は木や石と何ら変わらないことになると思うのですが……」
ブッダ:「いやいや、『オマエの考えている「心」のハタラキを押さえつけて無いものだと思え』と言っているのではないのだよ」
そしてブッダは「そんなに言うのなら、その『心』が何処にあるのか教えてくれ」と問い、アーナンダは「それは私の身体の中にあるに決まっています!」と答える。
そしてブッダがそれを論破したところ、アーナンダはさらに「それでは身体の外にあります!」と答えた。
ブッダは直ちにそれを否定してアーナンダは反論し、都合七度、同様の議論を繰り返した。
そして最終的にアーナンダは「心は私の身体の中にも外にもなく、中と外の中間にあるわけでもありません。そういった表現を一切受け付けないのが我が心なのです!」と言ったのだがブッダのOKはもらえず、アーナンダはすっかり途方に暮れてしまったそうな。
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