おさかな商店街のカチューシャ屋の前には「のぼり旗」が幾つもはためく。その旗に描かれているのは、ねじりハチマキで魚醤を持つ慈円津。しかも、その慈円津の横に「うまいよ!」のフキダシまで添えられている。
一時の熱狂的ブームは去ったものの、慈円津の店の魚醤「おさかな香水」は、定番商品としてペンギン達の生活の必需品にまでなっていた。そんな発売から数週間経ったある日のことである。
「王さん、今まで私の店のお手伝いをしてくれてありがとう。もう大丈夫だから、明日から来なくていいわ。ずっと酒屋の仕事をおざなりにさせてしまいごめんなさい」
王は自分の酒屋に戻る道すがら、先ほど慈円津から言われた言葉を思い出していた。オレンジ色の夕暮れの太陽の光が海面に反射している。長く伸ばした影を引き連れ、うつむきがちに歩く王には、ペンペンという自分の足音がやけに空虚に聞こえた。
おさかな商店街は相変わらず毎日盛況だ。だが、今はすでに夕方。大分客足もまばらである。閉店準備をしだしている店も多い。そんな中、まだまだこれからといった賑やかな店が一軒あった。
「ライブハウス・フィッシュぼーん」である。
王がその店の前に来ると、ちょうどライブのフライヤー(チラシ)を手にしたオーナー、イワトビペンギンのロック岩飛(ろっく・いわとび)が岩壁の穴蔵のような店から出てきた。
「お・王ちゃん!」
「岩飛さん、久しぶり」
岩飛は、小さめの中型ペンギンだが、その小ささは全く感じられない。ハードロッカーのヘアスタイルが小粋な上に、自分の信念「ロック道」を貫いている生き様が表層にもじんわり滲み出ていて、威風堂々としているからだ。頭髪は長い針金のよう緩い湾曲を描き逆立っている。その中に黄色い飾り羽が混ざっているところもスタイリッシュで格好良い。
しかし、岩飛は見た目のハードさとは異なり、優しいペンギンだ。困っているペンギンを見るとついついフリッパーを差し伸べずにはいられない性分なのだ。そんなイカした岩飛だが、弱みはある。
岩飛は、「ロッカーのくせに、住所、ヌルイ区だよね?」と半笑いで言われるとトサカを立てて反論するのだ。「ヌルイ区は、世界一ホットでクールな区なんだぜ!知ってるかい?俺のハートは激熱な南極さ!火傷と凍傷に注意しな、ベイベー!」と。
そんな真のロッカー岩飛は、フリッパーで、ツンツンヘアーを撫でつけるように触りながら言った。
「王ちゃん、最近、お酒の配達してないじゃない?兄さんのサマ春(さまはる)さんと弟のサマ雪(さまゆき)君が配達してくれてたぜ」
「うん、酒屋は兄弟達に頼んで、慈円津さんの店を手伝ってたんだ」
「魚醤かー。あの商品、人気出たからなぁ~」
そう言いながら、岩飛は、持っていたフライヤーを店先に並べた。そのフライヤーを見た王は、ハッと息を飲んだ。
「……そのチラシ……?」
「あん?これ?シュレーターズのライブだよ。今度ウチでやんだ」
そのチラシには、ビジュアル系バンド、シュレーターズの写真が載っている。王が慈円津の店で見たあのプロマイドと同じ写真である。王は、その写真をじっと見つめた。
シュレーターズは、シュレーターペンギンの4人組バンドである。シュレーターペンギンは、派手な髪型が特長のマカロニ族に分類されるペンギンだ。岩飛とも親戚である。シュレーターペンギンの頭髪の一部は天を刺すように伸びている。また、クチバシの端から目の上を通る黄色い飾り羽は、まるで二つのイナヅマのように猛々しい。攻撃的なその容姿が今のトレンディでもあり、ペンギン達のハートを鷲掴みにしているのである。
そんなシュレーターズのフライヤーを王はしばらく凝視していたが、やっと言葉を発した。
「……ライブは……いつ?」
王の尋ねる声が幾分震えている。
「今度の日曜さ。あ、慈円津さんも前売りチケット買ってたぜ。そうだ!王ちゃんには、配達の酒をいつもオマケしてもらっているから、前売りあげるよ。サマ春さんとサマ雪くんと兄弟で一緒に来な!」
岩飛は、一度店の中に戻って取ってきた3枚のチケットを王に渡すと、魚煙草に火をつけた。
「王ちゃん、ぜってー来いよな!最高にイカしたギグだからよ」
岩飛のオレンジ色のクチバシから吐かれた煙は、魚の肝の苦い香りを放ちながらゆるゆると夕暮れの空高く消えていく。
「うん……」
王は、チケットを握りしめ、フライヤーを見つめ続けている。
「あいつらビジュアル系って言われてっけど、ロックなんだ。ビジュアルに釣られたメスペンギン達も、ギグにくればやつらのロック魂を感じるさ」
岩飛は続けて言った。
「王ちゃん、ペンギンは見た目じゃないんだぜ!」
そう言うと、岩飛は格好良くフリッパーをビシッと天高く向けて、クチバシから魚型の煙を吐いた。
「うん……」
王は、もらったチケットをそっと前掛けのポケットに入れ、「じゃ、また」と岩飛と別れ、自分の店へととぼとぼペンペンと歩き始めた。
いつの間にか、陽は落ち薄暗くなり始めている。王の気分も暗くなる一方だ。王の足は、自分の店ではなく海へと向かっていた。思い切り叫びたい。海に行こう、そう思った。海に向かって、この鬱々とした気持ちを叫んで吐き出せばスッキリするかもしれない。
「だが待て」ハタと思った。もしかして海の中には、まだ漁をしているペンギンがいる可能性があるではないか……。
しかし、足は海に向いたままだ。ペンペンとして、歩きながら王は考えた。慈円津のこと、シュレーターズの格好いい髪型のこと、そして、岩飛の「ペンギンは見た目じゃない」の言葉を……。切羽詰まった王は、いつしか無意識に腹を撫でていた。撫でながらも思考は同じ所を堂々巡りだ。そして、腹を100回以上撫でたあたりで、王はピタリと足を止めた。
「!」
ついに腹撫でからペンギンエネルギーを得たのだ!良いアイディアが思い浮かんだ王は、足の向きを変えた。そう、ストレス発散できる最適な場所があるではないか!それは、どんな叫びも吸い込む場所、あの大穴である。普段なら避けたい場所ではある。だが、それが返って好都合だ。なぜなら、夜など誰も寄り付きはしないから。背の高い王であれば、柵を越えずに首を伸ばし、穴に思いの丈を叫び入れることは可能であろう。
夜の一歩手前の寂しい浜辺を、王はとぼとぼペンペン歩いて行く。
すぐに大穴の柵がぼんやりと見えてきた。
「あれ……?」
薄っすらと浮かぶ大穴の柵のそばに何かの別のシルエットがある。
「そういえば……」と王があることを思い出したとき、そのシルエットは、クルリとこちらを向いた。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第2章 王の恋(1)、いかがでしたでしょうか?
次々と意外な顔を見せる慈円津さん、さすがアイドル、ファンの心を惹きつけて飽きさせません。そんな慈円津さんに悶々ペンペンと寄せる王さんの思いはどうなる!?大穴に向かう王さんですが、これは必ず何か起こるパターン……。
さて今回は新ペンギン登場!ロック岩飛さんはイワトビペンギン、またの名をロックホッパーペンギン。飛び跳ねて歩く小さな身体と頭部のカッコイイ飾り羽でお馴染みですね。地球上では、暖かい地域を中心に南半球の色々な場所に住んでいます。でも心は激熱な南極なんでヨロシク!
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