別訳【夢中問答集】第七十二問 悟った人とそうでない人の見解の違いは何? 1/2話

足利直義:悟った人とそうでない人が見ている世界は、いったいどのように異なるのでしょうか?

夢窓国師:禅宗は真実そのものをズバリと提示する芸風なので、そういったことを問題視しないのじゃが、他宗派では色々と説明されているので、そちらの例を挙げさせてもらおうか。

例えば首楞厳経では「あらゆるものごとの本質」は七つの要素に分解して説明される。
地・水・火・風に、空・根・識を加えた七つじゃ。

これらの要素は如来蔵(にょらいぞう)と呼ばれる「おおもと」のあらわれとしてこの世界に充満していると考えられておる。

つまり楞厳経における「あらゆるものごとの本質」とは如来蔵のことであって、その作用が先ほどの七要素であるというわけじゃ。

ちなみに真言宗では「根」、つまり眼・耳・鼻・舌・皮膚・意識の六根を除いた六つが「あらゆるものごとの本質」であるとされておる。

そして目に見える相としての四曼(しまん:正式には四種曼荼羅という)があり、その先にハタラキとしての三密(さんみつ)、つまり身密(しんみつ:物質的活動)、口密(くみつ:言語的活動)、意密(いみつ:精神的活動)があるという考え方じゃ。

この七つ(七大)のような分類の仕方で「性徳(しょうとく)」と「縁生」というのがある。

例えば木を擦りあわせたり石を撃ちつけたりして発生させた火は、「縁生の火」じゃ。

この火に実体がないということは前にも説明したと思うが、これは薪や油などの燃えるものがなければ燃え続けることはできず、燃えるものがあるときに限って、あたかも存在するかのように出現する。

だから「みせかけだけのマボロシ」と呼ばれるのじゃ。

各種の経典に「縁生の『あらゆるものごとの本質』には実体がない」と書かれておるのはそういうわけじゃ。

これに対して「性火」というのはこの世界に充満しているものであって、実際に煙を上げて燃えるわけでもなければ水をかけて消すこともできないものじゃ。

世間一般の人々は「縁生の火」だけを知っていて、この「性火」を知らない。
もし「性火」を知ったならば「一般的な火は縁生だからダメだ!」と思うこともないのじゃがな。

「縁生の火」は「性火」のハタラキが目に見えるかたちで顕れ出たものであって、その他の要素(地・水・風等)についても同じように考えることができる。

「識」についても同様で、世間一般の人々の考える「心」は「縁生の心」であり、これを略して「縁心」という。

これに実体がないことは今さら言うまでもないが、感覚器官に対象物が接することによって発生してくる。
縁生の火が可燃性物質と結びついて燃え上がるようなものじゃ。

悟れていない人は、縁心しか知らず、性心を知らない。

大乗仏教以外の経典で「心」と言った場合は全てこの「縁心」のことを意味しておる。

大乗仏教は第七の意識や第八の意識があるとしているが、これらもまた「縁心」の域を出ない。

第九の意識があるなどとしておるのは、性徳における「識」の存在を説明するためじゃ。


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