別訳【夢中問答集】第三十八問 頭で理解するのではなく行動で示せ! 1/2話

足利直義:とっくに世も末な今日この頃ですが、儒教や仏教の研究はむしろ大昔よりも盛んと言ってよいでしょう。

それぞれの教義について縦横無尽に語れる人はたくさんいますが、儒教の専門家はみな孔子や孟子レベルの人格者かといえば全然そんなことはなく、仏教の大家がみなそれぞれの宗派の創始者に肩を並べる偉人かといえばまるで違います。

和尚の属する禅宗においても機転やスピーチ、教導手法などに優れた人はたくさんいますが、生き死にがかかった大一番で鮮やかに決められる人は見たことがありません。

教えはちゃんと伝わっているというのに、行動が全く伴わないのは何故でしょうか?

夢窓国師:・・・オマエ、なかなかイタイところを突くな。(苦笑)

仏教典には「どれだけたくさんの知識をもっていたとしても、それを使いこなす修行をしなければアホと同じだ」、と書かれておる。

世間でも言うではないか、「言うは易く行うは難し」と。

大工仕事にしたところで、「木を斧で切り倒して、カンナで削って板にする」という手順はワシもオマエも知っておるが、じゃあやってみろと言われたら全然やれやせん。

何故かといえば、ワシもオマエも大工を家業とする家に生まれたわけではないので大工仕事の練習をしたことがないからじゃ。

我らの今この瞬間のスキルは新人の大工見習いにも劣るじゃろう。

逆に大工の家に生まれたとしたならば幼少のころからそのつもりで練習をするので、たとえ才能がなかったとしても家業を継ぐぐらいのことはできるのじゃ。

話を戻すが、近ごろの専門家がいざとなったら使い物にならんヤツばかりなのは、常日頃からそのつもりで心の準備をしていないからじゃ。

かつて孔子は、弟子たちに対して「仁・義・礼・智・信」の五つの道を徹底的に叩き込んだという。

そして弟子たちのそれぞれを「オマエは仁をマスターした」「オマエは義をマスターした」と印可したわけなのじゃが、これは「仁」や「義」を行うことができると認めたのであって、決して「仁義」についてペラペラ語ることができると認めたわけではない。

今どきの儒教を学ぶ連中はといえば、「仁義はこれこれこういうものです」と教わっただけですっかりわかったような気になって、実際に仁義の道を歩く修練を積もうとはしない。

だから知識面では孔子・孟子に匹敵するのではないかというような専門家であっても、心に仁義が欠けているという点においてはそこら辺のアホウとおんなじじゃ。

仏教でも同じことが言える。

ゴータマ・ブッダが活動していた時代は黄金時代だったから、皆もともと素晴らしい人格と才能の持ち主ばかりで楽々と悟りを得たというのは間違いで、その時代にも今と同じように出来の悪い連中はたくさんいた。

それでも皆、生身のブッダの説法を聞いて日々懸命に努力した甲斐あって、苦しみの連鎖から脱出することができたのじゃ。

そしてそれは、ブッダが亡くなってからしばらくの間も続いた。

ブッダの教えは自らが生死の苦しみから脱するため、そして人々を救うためにあるのであって、決して世間的な評価や金銭を得るためのものではないということを忘れていなかったからじゃ。


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