こういった物ごとの考え方、つまり世間との折り合いのつけ方は、お経の中に様々な事例として書かれておる。
禅宗の開祖である達磨大師は、これらを大きく「理入(りにゅう)」と「行入(ぎょうにゅう)」の二つに分けられた。
「理入」とは「理屈から入る」という意味で、まわりくどい修行は一切抜きで教えを見聞きしただけでいきなり「真実の智慧」を悟ることであって、少々センスを要求されるやり方じゃ。
かたや「行入」とは「行動から入る」という意味で、教えを見聞きして「多分そんな感じなんだろうな」とは思いながらももうひとつピンと来ない連中を導くための手段のことじゃ。
そして「行入」には「報怨行(ほうおんぎょう)」「隨縁行(ずいえんぎょう)」「無所求行(むしょぐぎょう)」「称法行(しょうほうぎょう)」の四種があるとされておる。
世の中には老若男女を問わず何かと自分に対してムカつくことをしてくるヤツがおる。
また、人間ばかりではなく動物や昆虫などにも自分にとって害となるものがある。
人間にとって根本的な苦痛である「生・老・病・死」の「四苦」に「愛別離苦:愛する者と別れなければならない苦しみ」・「怨憎会苦(おんぞうえく):ムカつくヤツらと付き合わなければならない苦しみ」・「求不得苦(ぐふとくく):欲しいものが手に入らない苦しみ」・「五陰盛苦(ごおんじょうく):自分の心や身体を思うようにコントロールできない苦しみ」の四つを加えて「八苦」というのじゃが、これらはそこでいうところの「怨憎会苦」というヤツじゃな。
そいうったものに苦しめられたときは「ああ、これが前世で人が嫌がることばかりしていた報いか!」と反省し、貧乏や病気に苦しめられたときは「ああ、これが前世でドケチのやりたい放題だった報いか!」と反省して、ことさらに怒ったり嘆いたりしないこと。
それが「報怨行」じゃ。
また、たまたま運が良くて勤め先で偉くなって資産が増えるとか、テレビや雑誌などに連日登場してもてはやされるなどということがあったとしても、「ああ、これは前世の行いがちょこっとだけ良かったことの報いであって突風が吹いたようなものだ。とても長くは続かない」と思って、調子に乗ったりしがみついたりしない。
それが「隨縁行」じゃ。
この二種の「行」は解説してしまうとたいしたことなさそうに聞こえるが、そういった境遇に陥ったときに実施して平常心を保つのはなかなか難しい。
なんとか「修行しなきゃ」という気持ちを忘れないようにしたとしても、よほど気をつけないと日々の対応に追われてそのヒマがなくなっちまったりする。我ら坊主とて、同じことじゃ。
この二種の「行」は、行ってしまえばアホでもできることじゃ。
だが、これをしっかりと実施して心が乱されることのないように注意しておりさえすれば、それ自体が修行となってゆく。
達磨大師が、まずこの二種を挙げたのはそういったわけじゃ。
孔子のちょっと後の哲学者である荘子が、そういった環境に心を動かされずにいることを「無為の道」と称して絶賛したのとはちょっと違う。
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