別訳【夢中問答集】第四十三問 この世は夢・マボロシなのか? 1/2話

足利直義:なるほど・・・
ちなみに和尚が属する禅宗を始めとしたいわゆる大乗仏教ではしきりと「この世は夢・マボロシだ!」と力説しますが、それではそれを理解することこそが真骨頂なのでしょうか?

夢窓国師:うむ、確かに「全てのものごとは夢・マボロシ」であるという考え方は大乗仏教の各宗派に共通しておる。

世の人々は「この世は夢・マボロシ」という言葉を「諸行無常」という意味で使っておるが、これは大乗仏教の観点から見ると誤用であるといってよい。

夢の中で見る全てのものごとに実体はないのじゃが、夢の中ではあたかも実体があるかのようにイキイキと見える。

これは例えば手品師が一枚の布を取り出して、器用に人や馬のかたちを作り出すようなものじゃ。

お釈迦様の出身地であるインドにはこの類の手品師がたくさんいたため、譬え話に使われたのじゃな。

「この世は夢・マボロシ」という語は「全ての物ごとは実体がないにもかかわらず、歴然として存在する」と理解するのが正しく、「夢幻法門」とも呼ばれる。

「水たまりに映る月」、「鏡に映った像」などというのも同じ趣旨の語じゃ。

仏教を修行する者は、余程気をつけていないと「外道」・「二乗」と呼ばれる考え方・やり方にはまり込んでしまう。

外道の考え方にはいろいろあるが、詰まるところ「断」と「常」の二つに整理できる。

「断」とは「ない」こと。「常」とは「ある」こと。そこから派生して都合四つの考え方となる。

あらゆる物体や法則には「実体があって、永遠に不滅である」という考え方は「常見(じょうけん)」と呼ばれる。

逆に「実体などなく、永遠に発生することはない」という考え方を「断見(だんけん)」と呼ぶ。

そして「実体は、あったりなかったりする」というのは「亦有亦無の見(やくうやくむのけん)」、「実体は、あるのではなく、ないのでもない」とするのを「非有非無の見(ひうひむのけん)」と呼ぶ。


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