足利直義:今、さらっと「神我の見(しんがのけん)」とおっしゃいましたが、それはいったいどんなものでしょうか?
夢窓国師:仏教以前からあった古代インドの哲学のうち、仏教に採用されなかったものを「仏教ではない」という意味から「外道」と呼ぶ。
外道の一派で、数論外道(すろんげどう)と呼ばれるサーンキヤ学派では、世の中の全ての現象を二十五種類に分類して説明しようとしていて、最初のものはプラクリティと呼ばれる根本原質じゃ。
それは天地がまだ分かれていない混沌のことであって、善悪の区別がないのはもちろんのこと、直接見聞きすることもできず、新たに発生することもなければ滅ぶこともない。
そして二十五番目がプルシャと呼ばれる純粋精神じゃ。
「神我」とはこのプルシャのことであって、これこそが世間一般で「心」や「魂」と考えられているものなのじゃが、これもプラクリティ同様に不滅なのだという。
その二種に挟まれた残りの二十三種の説明は割愛するが、要は世の中の移り変わりを要素化したものじゃ。
純粋精神であるプルシャが吉凶の様相を呈すれば、根本原質であるプラクリティにも吉凶の姿が現れる。
同様にプルシャが丸くなったり四角くなったりすれば、プラクリティもつられてその形を変える。
つまり「プルシャ=神我」が余計なことを考えるから世の中に発生や消滅が起こるわけなので、いたずらな「神我」のハタラキを止めて善悪の区別がない混沌の状態に徹すれば、良いことも悪いこともないかわりに苦しみもない永遠の世界が出現するという理屈じゃ。
「身体は滅びても神我は不滅である。家が火事で焼け落ちてしまっても、住人は逃げ出せるから大丈夫」という考え方じゃな。
忠国師が批判したのはまさにこの考え方であり、これこそがいわゆる「神我の見」なのじゃ。中国でポピュラーな老子や荘子も、この域を出ていない。
老子の説く「虚無」や荘子の説く「無為の大道」とは、サーンキヤ学派におけるプラクリティのことなのじゃ。
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