「教外の別伝」というのもこれと同じことじゃ。
あらゆる人々の日常生活の中にあり、様々な経典の教えから離れたものでもない。
ただ、その意味を正しく知らない人は「教外別伝」と聞くと様々な疑問を抱いてしまう。
ある者は、煩悩を全開にして「それが究極のところだ」などと言う。
またある者は、儒教や道教を学んで「禅宗と言っていることは同じだ」などと言う。
さらにある者はテキスト重視派の教えを学んで「『教外の別伝』なんてないんだな」などと言う。
また、禅宗各派の教えを比較して、そこから「教外別伝」の意味を推し量ろうとする者もおる。
こういったものは全て、先ほどの漁師が「ワシが見慣れた景色をわざわざ見に来て喜ぶなんて、この坊主どもは変わり者だな」と思ってしまうのと同じじゃ。
こういった考えを改めさせようとして「仏教やそれ以外の教えのいずれも究極の境地ではない。一切の作為はみな妄想なのだ!」などと言ってみたところで、「じゃぁ、それ以外のところにあるのだな?」と誤解されてしまう。
これは、先ほどの漁師が「さては他にもっと素晴らしいところがあるのだな?」と思ってしまうのと同じじゃ。
ワシらが西湖の景色を見て喜んだのは、それが他の場所と比べて素晴らしかったからではなく、その中に感動させるものがあったからなのじゃ。
この気持ちは他人から説明してもらうというのでもなく、取り出して見せてもらうというものでもなく、然るべき時期が来てふと「いい景色だな」と感じた時に初めて自分のものにできる。
仏教の悟りの境地もそれと同じで、自ら身に沁みて理解したときに初めてわかるものなのじゃ。
そしてそれは、自分がハッキリと悟ったからといって、それを取り出して人に見せることは困難なものでもある。
だから、「皆が既に充分過ぎるほど持っている」にも関わらず、それを理解できない間は何をやっても輪廻の原因になってしまう。
かつて師匠が「全部よし」また「全部ダメ」と言ったのは、そういう理由によるのじゃ。
話を戻すが、禅宗以外の宗派の言葉を禅宗の言葉と比較して優劣をつけようなどというのは、歴代の師匠たちの教えが全く分かっておらんと言わざるを得んな!
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