足利直義:しかし、実際には大乗の悟りを得ていると評判の立派な人でも念仏修行をしています。
禅師でも念仏に肯定的な意見をお持ちの方がいらっしゃるかと思うのですが、和尚はなぜ念仏をそこまで悪くおっしゃるのでしょうか?
夢窓国師:ワシは別に仏さまの名前を唱えることを否定しておるのではないぞ。
涅槃経には「大げさな言葉も細かすぎる言葉も、全てひとつの真実に通じている」と書かれておる。
法華経には「政治も経済も全て矛盾なくこの世の真実の姿である」と書いてある、というのは以前にも言ったとおりじゃ。
大乗の悟りを得たならば、世間で行われている全ての仕事や会話が「真実の姿」そのものとなるのじゃ。
仏さまの名前を唱えることだってもちろん「真実の姿」じゃ。
浄土宗の師匠の中には大乗の理屈がちゃっとわかっている人もおる。
ただ、自分はわかっているけれども、自分よりもレベルの低い人を導くため、あくまでも仮に現実世界とは別に極楽浄土を設定し、自力だとか他力だとかの区別をしておるまでなのじゃ。
そんな師匠まで、ワシはアホウ呼ばわりするつもりはないよ。
むしろ「どうしようもないアホを哀れむ立派な菩薩」と呼ぶべきじゃな。
ただ、方便を完全に真に受けてしまって「現実世界を離れて極楽浄土に生まれ変わる」ことだけを目的に念仏を唱えるようなのは、やはり何もわかっておらんと言わざるを得ないのじゃ。
方便がダメなのではない。
真実の教えとちゃんと区別しておかないとダメだ、と涅槃経は教えてくれておるのじゃ。
真言宗にも念仏の秘訣があるが、その内容は浄土宗のものとはまるで別物じゃ。
禅宗でも念仏を唱えることがあるが、浄土宗と同じ目的で唱えておるのではない。
楞厳呪、大非呪などの呪文を唱えたりもしておるが、こんなものはつい最近になって始めたことじゃ。
予定調和を嫌うのが禅宗なのじゃ。
それどころか、禅宗に決まった本尊はない。
各人が勝手に好きな仏を拝むまで。
観音菩薩や地蔵菩薩を信じておる人は、その名を唱えることもあるじゃろう。
同様に、阿弥陀如来を信じておる人は「ナムアミダブツ」と唱えることになるのじゃが、それをもって「ほら、禅宗なのに浄土宗と同じ念仏を唱えている!」と揚げ足を取られてもな……
確かに今どきの禅宗の坊主の中には「念仏は大乗ではない! あんなものはアホのやることだ!!」と言い張って念仏をやめさせて回るようなヤツがおるが、これもまた極端な話じゃ。
思益経には「大乗の教えを聞いたのに、信じないで嫌がって逃げ出す人がいる。それは例えば空っぽの部屋が嫌いで逃げ出すようなものなのだが、この人を哀れんで力づくで空っぽの部屋に連れ戻そうとするというのもまた、同じぐらいアホなことだ」、と書かれておるよ。

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