別訳【夢中問答集】第八十九問 禅宗はなぜ禅宗と呼ばれるの?

足利直義:なるほど……
そういえば、その「情緒を安定させて集中する」修行法は禅宗に限らず仏教のどの宗派にもあります。
なのになぜ、禅宗だけが「禅宗」と呼ばれるのでしょうか?

夢窓国師:「情緒を安定させて集中する」修行法は仏教だけのものではない。仏教以外の様々な宗教にも普通にあるものじゃ。

我らが今いる欲界を脱出して一段上の色界、さらにまたその上の無色界に到るためにはこの「禅定」の力が不可欠じゃ。

そして仏教以外の宗教は、それを究極の目標としておる。

ただ、時代がさがるに連れて仏教以外の諸教や仏教の各宗派においては「禅定」を理念としては伝えるものの、もはやそれだけを取り出して修行することは稀になってしまったのじゃ。

そして今では「座禅」と称して「禅定」の修行をするのが禅宗だけになってしまったので、外からは「禅の修行をするのが禅宗」だと思われ、禅宗の人たちもまた、そのように思ってしまっておる。

しかしまぁ、禅宗が単にそれだけのものだというのであれば、インドからやってきた達磨大師にわざわざ習うほどのこともない。

楞伽経には、禅には以下の四種があると書かれておる。

  1. 愚夫所行禅:「何も感じず、何も考えない」ことを目指す。世間のアホどもや外道の連中が考える禅。
  2. 観察相義禅:「仏教理論に通達する」ことを目指す。小乗の修行者や初級の菩薩たちの禅。
  3. 攀縁如実禅:「両極端を避けて真理に安住する」ことを目指す。一般的な菩薩たちの禅。
  4. 如来清浄禅:「心というものの真実を見極める」ことを目指す。いわゆる如来の禅。

かつて「確かにオマエは如来禅の境地に達しているが、『禅』というものがもうひとつよくわかっておらんようじゃな」と弟子に言った師匠がおるが、この一言をとってみても禅宗における「禅」が他の宗派における「禅定」とはひと味違うものだということがわかるじゃろう。

「禅」とは、サンスクリットの「ジャーナ(禅那)」を音写した言葉じゃ。
そしてそれは三学における「定・慧」とは違う概念なのじゃ。

唐代の僧侶である圭峰宗密禅師は、禅宗における「禅」を「絶待霊心観」と名付け、その著書である「禅源諸詮集都序」の中で「達磨大師が伝えたものこそが真実の『禅那』である。だからそれを伝える宗派を『禅宗』と呼ぶのだ」と書いておるよ。


☆     ☆     ☆     ☆

★別訳【夢中問答集】(中)新発売!(全3巻を予定)
エピソードごとにフルカラーの挿絵(AIイラスト)が入っています。
上巻:第1問~第23問までを収録。
中巻:第24問~第60問までを収録。

 

別訳【碧巌録】シリーズ完結!
「宗門第一の書」と称される禅宗の語録・公案集である「碧巌録」の世界を直接体験できるよう平易な現代語を使い大胆に構成を組み替えた初心者必読の超訳版がついに完結!
全100話。公案集はナゾナゾ集ですので、どこから読んでもOKです!

★ペーパーバック版『別訳【碧巌録】(全3巻)』

 

スポンサーリンク

フォローする