別訳【夢中問答集】第九十一問 教外別伝って結局どういうこと? 1/4話

足利直義:さて和尚さま、「禅宗のヤツらときたら、お釈迦様の教えを文字通りに受け取らず、理論の研究もせず、『教外別伝』の名のもとに個人的な思いつきや妄想を垂れ流しにしている。あんなもの、とてもではないが信用ならない」、などと言っている人がいるのですが、これに対して何かご意見ありますでしょうか?

いや、私がそう思っているんじゃありませんよ! そういうことを言っている人がいる、という話です。

夢窓国師:誰だか知らんが、愚にもつかない言いがかりはやめてもらいたいものじゃな。

そんなことを言うヤツは、仏教の教えを信じているのではなく、文字を信じているのじゃ。

もしもちゃんと教えを信じることができたなら、教外別伝、つまり「文字言語では伝えられないものがある」ことも信じることができるハズじゃ。

楞伽経には「お釈迦さまは鹿野苑(サールナート:初めて教えを説いた場所とされる)から跋提河(バッティガ:涅槃に入った場所とされる)に至るまで、ただひとつの教えも説かなかった」と書かれておる。

もしこれが真実ならば、それがたとえお釈迦様の教えなのだとしても文字言語にこだわる必要はないよなぁ。

像法決疑経には「教えを文字通りにしか受け取れないヤツは、現在・過去・未来にわたって仏の敵だ!」と書かれておる。

残された文字をこねくり回して理論づけすることなど、お釈迦さまは求めておらんと思うがな。

円覚経には「経文は月のありかを示す指であるに過ぎない」と書かれておる。

月を指さすのは、人をして月に目を向けさせるためじゃ。

なのに指そのものに目をつけてしまって、やれ長いだの短いだのとやっておっては、いつまでたっても月を見ることはできん。まさにアホ中のアホじゃな。

昔の師匠たちは宗派の違いはあっても皆、指ではなく月そのものを直視しておった。

ただ、月の方角すらわからん出来の悪い連中のために、方便として指を使ったまでじゃ。

法相宗の廃詮、三論宗の聖黙、天台宗の妙旨、華厳宗の果分など、禅宗以外の宗派であっても文字言語の及ばない境地は用意されておる。

密教は、「語り得ない真実については沈黙するほかない」という態度は怠慢だとして「真実は工夫次第で語り得る」という立場をとっておるのじゃが、いったいどのような工夫なのかといえば「『言う・言わない』の境地を超えて、現在・過去・未来にわたって途切れることなく説く」ものだというのだから、なんとももの凄い話じゃな。

ただ、その本意をただせば、やはり究極の境地は文字・言語などからは離れたものだとせざるを得ないのじゃよ。

密教の経典である大日経にも「ブッダが得たという究極の悟りは、見ることも語ることもできないものなのだ」、と書かれておるよ。


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