別訳【夢中問答集】第二十四問 真実の智慧

足利直義:つまり和尚は、「『もうかりたい!』というのがダメなのは、『真実の境地』に至るジャマになるからだ!」と仰りたいのですね?
なるほど、それはよくわかりました。

しかし、先程からのお話が、まるで智慧までも否定しておられるように聞こえるのは何故でしょう。

智慧がなければ「真実の境地」もへったくれもないのではありませんか?

夢窓国師:いや、ワシは別に「智慧」を否定してなどおらんぞ。
もっといえば、「もうかる」ということですらも否定してはおらん。

ブッダのたくさんある呼び名のひとつに「両足尊」というのがあるのじゃが、これはつまり、「福」と「智」が両方とも足りているという意味じゃ。

それらを否定することは教祖を否定することになる。ワシはそんなことはせんよ。(苦笑)

ワシはただ、世間一般で「福」とか「智慧」とか考えられているもののレベルが低すぎることに対して、苦言を呈しているだけじゃ。

例えば今、オマエが「智慧」と言った時に想定していたのは、恐らく「お経やその解説書を大量に読んで勉強して内容を理解し、ムツカシイ学術用語が操れるようになって、ムツカシイことを考えることができるようになる」とかいうようなものなのだろうが、それこそ「小賢しい」というヤツじゃ。

対象がお金やモノでないというだけで、やっていることは「もうかりたい!」連中と全く同じだということに気づきもしない。
そんなものが本物の「智慧」のわけがないじゃろう!

わかるか?
「小賢しい」というのは、「バカ」と同義なのじゃ。

ワシの尊敬する先輩はこう言った。
「バカはバカで身を滅ぼし、智者は智慧で身を滅ぼす」、とな。

中途半端な「智慧」など、むしろ無い方がよい。
変な先入観があると、かえってモノゴトを正しく見ることができなくなるからじゃ。

もちろん、「バカ」は論外じゃ。お話にもならん。

それではどうしたらよいのかといえば、「真実の智慧」によるべきなのじゃ。

ワシがこんなことを言うと、「それでは『真実の智慧』はどうやったら得られるのか?」などとバカなことを考えるヤツがでてくるじゃろうから、この際ハッキリ言っておくぞ。

それは、命のあるものには全て、生まれつき備わっているのじゃ。もちろん、オマエにもな。

残念なことに、ほとんどの人は成長の過程で「一般常識」という名の「人のウケウリ」で全身を固めてしまっている。

もしも、それらをきれいサッパリ脱ぎ捨てることができたなら、その人が元から持っていた「真実の智慧」は自然と光を取り戻すことじゃろう。

たとえば、酒でベロベロに酔っ払っていた人が、酔いから覚めて元通りになるようなもんじゃな。(笑)


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