なに? 読めもしないのに、なんで書いてあることを知ったかぶって褒めたり、「これは仏の再来じゃ!」とか言うのかって?
オマエな、天が何かしゃべったりするか?
天はなんにも言わないが、それでも季節は移りゆき、あらゆるものは自然のままに発生する。
が見えなかったり耳が聞こえなかったとしても、その「自然の理」がどういうものであるかぐらいは、生まれつき体得しているものじゃよ。
ただ、「なんでそうなのか?」といわれると、なかなか答えられる人は少ないのじゃがな。
夢窓国師のおっしゃることも、まぁこれと同じようなもんじゃ。
ワシはもうずっと昔から、それを知っておる。
この本が出版されようがされまいが、ワシはそれを知っておるのじゃ。
ただそれも、「なんでか?」と言われると、なかなか答えづらいところではあるのじゃが……
仏、つまり「ブッダ」とは、「悟った人」という意味じゃ。
自分ひとりで充分に悟り、それによって周囲の人にも悟らせる。
先に言った「アホウどもを感化する」というのは、つまりそういうことじゃな。
「自分で悟る」ことと「周囲の人に悟らせる」こと、また、「世界中の人に悟らせる」ことの間には、なんの違いもない。実は、それらは全て同じものなのじゃ。
「究極の真実」とは実に偉大なもんでな、全世界をすっぽりと包み込んでいるのじゃ。
この世のありとあらゆるものが、それによって存在し、活動している。
なにも夢窓国師ひとりだけが「超人」というわけではない。
オマエもワシも、やはりその偉大なる「究極の真実」によって存在し、「究極の真実」を使いこなして生活しているのじゃよ。
まぁ、それが「なんでか?」ということがわかっているかどうかの違いはあるがな。
それにしたって、突然今そうなったわけではあるまい。
誰が「悟っている」って? 誰が「悟っていない」って?
そういうことを言うヤツには、ワシは指さしてこう言ってやるのじゃ。
「おいオマエ、オマエは仏そのものではないか!」、とな。
そのことを忘れているから、あれこれと思い悩んだりするのじゃ。考えてみれば、単純なことじゃな。
なに? 「それはそうなのかも知れませんが……」、じゃと?
なにか言いたいことがあるならハッキリ言え!
なになに? 「冒頭、「極めて優秀な人=「至人」が面倒をみてくださる」とおっしゃいましたが、、私は「至人無夢」、つまり「至人」と呼ばれるような完成した人格を持つ人は、夢なんか見ないもんだ」と聞いています。
ところがこの本は、夢窓国師という立派な「至人」の話であるにもかかわらず、「夢」中問答集などというタイトルがつけられているのは、いったいまた、どういうことなのでしょうか?」、じゃと?
……これだからセンスのないヤツは始末におえない。
まさか、ここでいう「無」のことを、「有ったり無かったり」の「無」だとか考えているのではあるまいな?
それに、ここで「夢」といっているのは、いわゆる「夢」のことではないのじゃ!
……とかなんとか言ってしまえば、もうオマエは何も言えなくなるじゃろうし、ワシももうこれ以上何も言うことはない。
こんなコトワザがあるのを知っとるじゃろう? 「アホウに夢の話をしてもしょうがない」って。
かつて仏弟子シャーリプトラ(舎利弗)は同僚のスブーティ(須菩提)にこうたずねた。
「究極の悟りを得るための「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という修行法だけどさ、夢を見ている時にやるのと、夢から覚めている時にやるのとでは、何か違いがあるかしら?」
これに対してスブーティはこう答えた。
「ううむ、それはディープな質問だな…… オレにはちょっと答えられない。さっきその辺にマイトレーヤ(弥勒菩薩)がいたから、彼に聞いてみたら?」
さて、今またシャーリプトラのように、「夢」と「夢でない」ことの違いをたずねてくるようなヤツがいるならば、ワシはただ、こう答えるばかりじゃよ。
「それはとてもディープな質問なので、ワシには回答不能じゃ。キミ、夢窓国師にたずねてみなさい!」
西暦一三四二年九月十九日南禅寺の居室にて
中国からの渡来僧 梵僊

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エピソードごとにフルカラーの挿絵(AIイラスト)が入っています。
上巻:第1問~第23問までを収録。
中巻:第24問~第60問までを収録。
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