足利直義:「もう長いこと修行しているんだけど、全然それっぽい成果がでないんだよなぁ・・・」とグチっている人がいます。
また、「死ぬ間際にでも悟れるならまだしも、最終的に悟れずに終わるなんてことになったとしたら、それこそ一生かけて「骨折り損のくたびれもうけ」をやっただけになっちまう・・・」と言って修行を始めるのをためらう人もいたりするのですが、その辺はどうお考えでしょうか?
夢窓国師:いやいや、「それっぽい成果」などというが、いったい仏教修行にどんな成果を期待しておるのじゃ?
立身出世や商売繁盛、あるいは無病息災や学業成就、芸能上達や病気平癒などの祈祷であれば期待する成果、つまりゴールの姿はイメージしやすいのだと思うが、禅宗においては少々事情が違う。
禅宗における「成果」とはいったいどのようなものか?
昔の師匠たちは「それは全人類に生まれつき備わっており、初めから完成している。アホだと少なくて賢いと多いというようなものでもない」、と説明しておる。
また「虚空のように円満で、欠けることも余ることもない」とも。
もし「修行したおかげで目に見える成果があった!」ということになると、それは「虚空に余りがある」ということになる。
逆に「修行したのに目に見える成果がない・・・」というのであれば、それは「虚空に欠けたところがある」ということになる。
それが本当だとしたら、諸先輩方は「ウソつき」だということになってしまうではないか!
「努力がムダになるかも知れないからやらない」というのはアホ中のアホじゃ。
仏教修行以外のものごとで成功が確約されているものがあるなら出してみろというのじゃ!
「なかなか成果がでない」と言って苦しんでいる人は確かにおるが、「ムダになるも知れないからやらない」というのは単に根性がないだけじゃ。
やらなかったら確実に成果はでない。
自分でやって成果がでないなら、他人に頼んでやってもらうとでも言うつもりか?
もし他人の力で悟りを開くことができるのであれば、この世に溢れるアホウどもを仏様や菩薩たちが放っておくわけがないじゃろう!
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