「般若心経の秘密」 第3話(出典:般若心経秘鍵)

さて、般若心経(正確には「大般若波羅蜜多心経」)といえば、読んで字のごとく般若菩薩の「心真言」、つまり「心」に関する真実の悟りの境地を述べたものである。
(後述するが、般若菩薩の真言には「身」や「心」などいくつかの種別があり、これはそのうちの「心」に関するものであるから「心経」の名があるのであって、「大部の経典「大般若経」を要約したものだから「心経」と名付けられた」という理解は正確ではない)

そしてこれはとても短い経典だ。わずか十四行で、半紙一枚にも満たない、構成こそ極めてシンプルなものだが重要なポイントはしっかりとおさえられていて、内容はとても深い。様々なジャンルの経典に共通する智慧のエッセンスをたった一言で済ませたかと思えば、様々な宗派の修行の成果を一行で存分に表現し尽くしてしまったりしている。

冒頭いきなり「観自在菩薩」とあるが、これはある特定の菩薩や人物を指すのではなく、諸々の宗派の修行者たちのことを意味しており、続く「度一切苦厄」「究竟涅槃」は、修行によって得られるメリットを表現している。

その後、「五蘊(ごうん)」(五種の感覚器官である「眼・耳・鼻・舌・身」)に言及しているが、これは空間的な広がりをもつ迷いの領域を示し、後半にある「三世諸仏」とは、悟りの境地が時間的連続性をもっていることを示している。

「色不異空、空不異色」云々のパートでは「それぞれが独自性を保ったままで分け隔てなく平等である」ことが説かれている。これを普賢菩薩が見たならば、持論がわかりやすく展開されているので「そうそう、そういうことなんだよね!」と、思わずニヤニヤしてしまうことだろう。

「不生、不滅、不垢、不浄」云々のパートでは「キレイとかキタナイとかの区別は全て言葉だけの虚構に過ぎない」とばっさり切り捨てているのだが、これを文殊菩薩が見たならば、「おお、それはオレの得意技だ! なかなかの切れ味じゃないか!」と大喜びするに違いない。

―――――つづく


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