僕は学生時代、豊島区の南長崎でひとり暮らしをしていました。大学から歩ける距離だったこともあり、遅くまで酒を飲んで帰れなくなった友達やバンド仲間が、たまに泊まりにきました。当たり前ですが、ふだんは深夜に帰っても独りです。それがまた、気楽でいいなと思っていました。皆さんはどうでしょうか。
さて、2010年春学期の立教大学「マイノリティと宗教」の中で、例年と同様に授業の仕上げとして、受講生たちにブルース詞を書くという課題を出しました。すると、ある男子学生が次のような作品を書いてきました。
「帰宅ブルース」
実家なのに食料ない
実家なのに食料ない
あぁ、あんまり、帰ってない
実家なのに家族に会わない
実家なのに家族に会わない
あぁ、帰宅はいつも深夜3時
母ちゃんごめん
母ちゃんごめん
でも 兄貴も行方不明
「どんな実家なのか」
「食料って、何なのか。書いた人の好きな食べ物は何なのか」
「深夜3時に帰宅できるってことは、どの辺りが実家なのか」
「この母ちゃんはどんな人なのか」
いろいろと想像で補いながら、詞の世界に肉づけしていきます。そして、クラスの学生たちが自分たちなりに詞を把握した頃に、ギターでメロディに乗せて歌うわけです。
1回目は、ゆっくりと。
2回目は、言葉とリズムに強弱をつけて。
3回目は、キーワードを繰り返しつつコール&レスポンスです。
皆さんが歌うとしたら、どの言葉をリフレインしますか。
そうですね。この詞の場合には、「母ちゃんごめん」で決まり。
母ちゃんごめん!(母ちゃんごめん!) × 4 となります。
ところでこの「母ちゃんごめん」というフレーズですが、学費や生活費の多くを親に頼らざるを得ない学生たちにとっては、他人事ではありません。
この詞を作ったのはひとりの学生ですが、それを一旦味わって、皆で声に出してみるとあら不思議。個別の事柄が共有できる事象になって、歌のメッセージをそれぞれの学生が分け持ちながら、「母ちゃんごめん!」というシャウトが広がります。
ひとりの事情は、決してその人ひとりだけのものではないということを、時にブルース詞は示してくれます。
詞づくりとそこで出た作品を声でコール&レスポンスすることの両方を僕が重視するのは、このコール&レスポンスが、個と集団、個と共同体との間に何かの作用を起こすと考えているからです。
話を少し広げて考えると、意見交換、対話、議論、相互のコメントなどなど、ふだんの授業の中にも、じつはコール&レスポンスが満ちているといえるのではないでしょうか。
コール&レスポンス!